2012年3月6日火曜日

なぜに文「学」?

一般に学問を表わす英語には-logy という接尾辞がつくことが多いです。「学問」とか「学説」を意味するラテン語&ギリシア語からきています。

psychology(心理学)、biology(生物学)、ecology(環境学)、archeology(考古学)、sociology(社会学)、seismology(地震学)などなど。

-ics という接尾辞も「研究」とか「知識」という意味を持つので、やはり学問の名前につきます。

physics(物理学)、mathematics(数学)、economics(経済学)、electronics(電子工学)などなど。

では、なんでliterature が「文学」になったのでしょう。これって、学問なんでしょうか。





意外なことに、広辞苑で「文学者」を引いてみますと「文学の研究者」という説明よりも前に、まず「文学を創作する人。詩人・作家・文学評論家」と出ています。

作家が文学者だなんて、おかしくないですか?

小説や詩を「芸術」だといっても「エンターテインメント」だといっても抵抗はありませんが、「学」をつけるような種類のものでは到底ないと思います。小説研究を文学と呼ぶのはかまいませんが。



「文学」ではなく「文芸」という言葉なら――それそのものがかもしだすカビ臭いイメージは好きになれませんが――「文章の芸術」を略したものとして受け止めれば納得です。

「文章芸人」の略だったら、もっと歓迎です(笑)。ぼくなんかは、これがいいな。



しかし、学問でもない代物に「学」をつけることで、すごくカンチガイしてしまう作家や評論家も、これまで大勢いたんじゃないでしょうか。

なにを言いたいかといいますと、最近の話ではありませんけど、ただの程度の低い、底の浅い体制批判のメッセージも、作家として一度確立した人間が書き記すと「文学」と呼ばれてしまい、その内容を批判すると「文学がわかっていない」とか「表現の自由への冒瀆である」などと言われてしまう。その歪んだ文学保護意識にうんざりさせられる事件の資料を、何冊か読みふけってしまったものですから。



作家が書いたものは、自動的に芸術であり、文学であるという理屈を、世間の一般常識から乖離したレベルで主張する――そういう世界の一員ではありたくないですね。

ぼくが指しているのは、1950年代末~1960年代初頭にかけての話です。わかる人にはわかるでしょうけど。



「文学」とは小説を研究する学問に対して与えられるべき名称で、小説は「小説」でいいじゃないですか。せいぜい、正装のおめかしをしたとしても「文芸」どまりで。

literature に「文学」という日本語をあてたのは、小説家の非常識を正当化するのに役立っていることは疑いありません。



ちなみに三省堂のデイリーコンサイス国語辞典で引くと「文学者」は(1)文学の研究者(2)作家 というふうに納得のいく順番で並んでいます。

広辞苑の版元が岩波書店であることを考えれば、当然、思想的なバイアスも加味しなければなりません。

辞書といったって、イデオロギー的にニュートラルではありませんから。