2012年3月12日月曜日

「事務方」と呼ばないで

午後、執筆の合間にちょこっとテレビをつけたら、NHKで参議院予算委員会の中継をやっていた。

ちょうど自民党の世耕議員が語気鋭く詰め寄っている場面で、昨日の追悼式典をテレビで見ていたぼくも気づかなかったことが明らかにされた。

200億円にものぼる大震災の義援金を寄せてくれた台湾の代表に対し、二階席に押しやって献花の機会を与えなかったそうである。




藤村官房長官は「事務方で詰めたものを直前になって聞かされた」と言い、野田総理は、世耕議員から謝罪してほしいと詰め寄られ「おわびする」という文言を一切口にせず、不手際を認めた。

すると(ここはえらかったと思うが)参議院予算委員長の石井一(民主党)が、世耕議員がつぎの質問に移るのをいったん止めて、議長から改めて、ふたつの不手際を(中継映像には映っていなかったが、じつは天皇・皇后退席のときに、誰も立たなかった!)与党議員でありながら、厳しく批判した。



いまさら民主党のことをどうたら言ってもはじまらないが、それにしても「事務方」っていうのはヤな言葉だなあと思った。

今回の「事務方」の不手際は、中国に足を向けて寝られない民主党政権に気を利かせた結果だと思うし、「思想は思想・礼儀は礼儀」と割り切れない民主党の、心の狭い国家元首軽視の空気がそのまま浸透した結果だと思うが、そうしたミスがあったにしても、「事務方」って、ほんとうにヤな言葉だ。

まるで人間味のない、機械のような職員を連想させる。

実際、そうなのかもしれないけど。

でも、そういう言葉を疑問なしに使う議員の感性が、ぼくはきらいだ。

ぼくが総理なり閣僚だったら「担当者」とか「スタッフ」と言い換えるけどな。そうしないと「事務方」に、血の通った判断ができる土壌が生まれない。

なにも考えず「事務」だけやってればいいですね、みたいになるし、逆にいえば「事務」以上のでしゃばった判断はするな、おまえたちが考えることじゃない、という傲慢な政治家の姿勢にもつながっている。これは民主党にかぎったことではない。自民党も同じだ。



大震災におけるトモダチ作戦で、米軍タスクフォースの調整役をまかされた元国務省日本部長のケビン・メアが著した「決断できない日本」の中に、こんなエピソードが記されている。



原発事故直後、米国は支援可能な品目リストを日本に送った。すると日本側からは「これとこれが必要だ」という回答ではなく、たとえば無人ヘリについては、その性能や特長に関する細かな質問が並べられ、放射能で汚染された場合の補償はどうなるかという問い合わせを返信してきた(第一章p44)という。

あの一刻を争うときに、だ。

これでは「事務方」と呼ばれてもしょうがない。



だが、ちょっと待て。

ちょうど同じころ、電源喪失した原発に一刻も早く電源車を送り込まねばならないという事態を迎えたとき、担当者に自ら携帯電話をかけて、バッテリーのサイズや機能を直接こまごまとたずねてきたエライ人がいたと思ったが。

ああ、そうか。

総理と思わず、血の通っていない典型的な「事務方」だったと思えばいいわけですね。

いや、もしかして「事務方」が米国側に無人ヘリの機能をこまごま問い合わせたのも、この「いちばんエライ事務方さん」の指示だったりして!