2012年3月11日日曜日

これがぼくらの「不動産」

この一年で学んだこと、感じたこと、悟ったことはいっぱいあるし、それは短いブログ上のコメントとして容易に表わすことはできない。

でも、ひとつだけ挙げるとすれば、それは「ぼくたちは『大地』に住んでいなかった」と痛感したことだ。




その認識は「地震列島」なんてありふれた表現をはるかに超えたものだ。

ぼくたちは大地に暮らしているのではなく、波間に浮かんでいる一枚の戸板に乗っているようなものだった。

しかもその事実は、たとえこの国から原発をなくしても変わることがない。

プレートテクニクスがせめぎあう場所に国土があるということは、それは不動の大地ではない、ということだ。



日本人は「平和ボケ」だとよく言われるが、それよりも「地震ボケ」の状態に陥っていた。

何年前だったか忘れたし、正確な記憶ではないかもしれないが、東京に「けっこう揺れたな」という感覚の地震があったとき、ちょうど来日中だった(たぶんロシアの)サーカス団がリハ中で、パニックを引き起こし、こんなところでは演技ができないとなり、帰るの帰らないのという騒ぎになった。

そりゃそうだろう。サーカスの演技中に地震がきたら命にかかわる。

でもぼくは、やっぱり外国人は大げさだなあと笑っていた。ふつーだよ、こんなの、と。



もっと小さな震度2や3くらいの揺れでも、地震のない国からきた外国人宿泊客は、ホテルの部屋から飛び出すような大騒動を引き起こし、それを日本人は「きみたちねー、あわてちゃダメよ、これぐらいのことで」と、余裕の表情で笑ったりする。

だけど、あわてる彼らの感覚のほうが正常なのだ。余裕で落ち着いている日本人のほうが異常だ。

自分の住んでいる国の地面が、「一度たりとも」揺れるなんてことがあってはいけないのだ。

揺れないからこそ「大地」なのではないか。

ところがぼくたちは、ものすごく不安定な場所に住んでいる。

揺れまくる土地のことを「不動産」などと呼んで。

こんな皮肉な名称はない。



地震列島に原発があってよいはずがない、と、そこまでは論理が行き着いても、じつはまだその先がある。

原発をなくしても、地震による壊滅の可能性は減るわけではない。

どんなにエコな発電システムを整えても、それでも地震はやってくる。

そのうち「気象庁震度階級」も、おそらく震度8とか震度9を設定するような時代がくるのではないか。

なぜなら、いまの最大震度である7では、その階級表によれば「耐震性が高い」という条件付きで、「木造家屋」では「壁などのひび割れ・亀裂が多くなる。まれに傾くことがある」、「耐震性が高い鉄筋コンクリート建造物」でも「壁、梁(はり)、柱などの部材に、ひび割れ・亀裂がさらに多くなる。1階あるいは中間階が変形し、まれに傾くものがある」という程度なのだ。

人間の体感・行動という項目では、震度7は「立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある」となっている。



しかし、東日本大震災の体験談を聞けば、この程度を最大限と設定していることじたいが、すでに甘すぎるとわかる。

そもそも首都圏直下型地震の想定マグニチュードはどんどん上がっているのに、震度の階級表が7どまりというのは現実的ではない。

階級表の見直しは5年ごとで、前回が2009年3月だと思うから、つぎはさ来年だ。

でも「いたずらに国民に不安を与える」という理由で、8や9の設定は見送られるのだろう。たぶん。



大地が揺れるのは常識という堂々たる感性のぼくたちは、でも、じつはものすごく恐がりなのだ。