2012年3月19日月曜日

あのときぼくはナニ語をしゃべっていたんだろう(2)

高校のときに、勉強はきらいだったけど英語は好きで、外語大とかそっち方面へ進みたいと父親に言ったら「英語でメシが食えるか」と時代錯誤的な一喝をくらって、あえなく語学の道をあきらめたことは以前に書きました。

その反動もあって、大学時代はラリー車で山道を早く走ることのみに明け暮れ、英語はどこへやら。ニッポン放送へ入ってからも、英語とは無縁の生活。

なので、いざ実戦となっても、耳が英語を聞き取れるわけないんですよね。言葉も出ない。しかもアガる(笑)。そして海外旅行の仕組みを知らないから、言葉を聞き取れても、意味がわからない。

TRANSIT この単語がそうでした。





南回りの最初の停機地・香港に着いたとき、ぼくは夜行バスで高速のサービスエリアに着いたような感覚でした。

つまり、乗っていたい人はそのまま座席で寝てていい。ちょっと気分転換したい人はバスならぬ飛行機の外に出ていい。そう思って機内にとどまるつもりでした。

ところが、ぼくにとっては聞き取り不能のドイツ語と英語のアナウンスは、全員降りろといってるらしい。日本語のアナウンスも当然あったはずですが、記憶にない。ともかくみんなが立ち上がって出口へ向かう。



アテネまで行く自分が、なぜ香港で機から降りなきゃならないのか、当時のぼくにはまったく理解不能でした。でも、周りの席もみんな外国人なもんで、事情をきけません。

そうそう、両隣の席はガイジンでした。「やあ、ぼくはヨシ。きみは日本に観光にきてたのかい」なんて気楽な会話ができるわけもなく、殻を閉じたシジミ状態でした。



とにかく飛行機を出て通路を進むと、いまでも覚えています、つきあたりのT字路に女性の係員が立っていて、細長くて赤い札をかざしながら、「とらんじっ?」「とらんじっ?」と呼びかけているのです。

その札をとった人は右手に進み、とらない人は左手に進みます。

「とらんじ?……寅次郎?」

いや、さすがにそれはツクリですが、「とらんじっ」が、たぶんTRANSITと綴る単語なのかもしれないと推測はできても、意味がわからないぼくにはどうしていいかわかりません。

もしかすると、この赤札を受け取る人は特別な事情のある人で、そのまま左へ進むほうが正解かとも思えます。

ちょっと頭を働かせれば、「あい・あむ・ぎりしあ(爆)」とか言って、必死にアテネ行きの乗客であることをアピールすれば、どちらに行けばいいのか、すぐこの係員が教えてくれたはずなんです。

でも、そんな機転すら働かないうちに、列が進んで順番が回ってきた。「えいっ」とばかりに、赤い札をとって右に進みました。結果は正解でしたが、そのときのぼくにとっては、くじみたいなものでした。



あとでわかったことですが、羽田からフランクフルト行きの南回りルフトハンザには、香港で降りる客が大勢いました。と同時に、香港から新たに乗ってくる客もたくさんいて、彼らには、香港で降りた客が使っていた席をわりふることになります。

つまり機内清掃をしなければならないわけで、このとき機内に客が点々と残っていては作業の邪魔だから、いったん全員を下ろしたんですね。

しかし、パキスタンのカラチを過ぎたあたりからは空席が多くなり、新たに乗ってくる客の数も少なかったので、いちいち全員を下ろす必要はなくなる。テヘランに降りたかどうか記憶がないというのは、降りたとしても、客は機内にとどまっていてOKだったため、ぼくは爆睡していたからだと思います。



まあ、そういうトランジットの仕組みがわかってなかったので、香港・啓徳空港のトランジットルームで待ってるあいだも不安の極致。

ひょっとしたら、飛行機じたいを入れ替えるための一旦「下車」なのではないのか。とすると、座席の上の収納に残してきた手荷物はそのままでよかったのか、あずけたスーツケースはどうなのか、疑問の嵐です。

しかもこの便は、ほんとに日本人乗客が少なかった。見渡すかぎり「異人さん」ばかり。

で、ぼくは自分と同じ搭乗券を胸ポケットに差している、はげあたまに髭をたっぷりたくわえた外国人男性に目をつけ、まるでストーカーのように彼から離れないようにしていたのでした。その人がバーカウンターに行けば、自分も隣のスツールに座って飲み物を注文する、といったふうに。

いやあ、いま第三者の目で、そのときの自分を見てみたいです。爆笑ものですね。



とにかく、そんなこんなでギリシアのアテネに着きました。ついに初の外国です!

エーゲ海だぜ! すばらしい天気でした。



そしてぼくはタクシーをチャーターして、アテネ半日観光に出かけるのですが、いったいどうやって値段などを交渉したんだか、まったく記憶にありません。

ギリシア語はあいさつひとつ知らないし、英語も実戦未経験レベルとあっては…。おまけにギリシア人の運転手だって英語がぺらぺらというわけではなかったと思うのですが、いま残っているスナップ写真を見ると、紺碧のエーゲ海(たぶんサロニカ湾)をバックに、タクシー運転手といっしょにシーフードを食べているショットが。

不思議ですねえ。



で、このアテネからエジプトのカイロへ飛ぶ段になって、空港の待合室で、たしか北欧のどこかの国からきたとかいう同年代の金髪青年1名と、金髪女性2名の3人グループと出会い、「どこいくの~」「カイロ」「あ、おれたちも~」みたいな会話を交わすことになりました。

これも英語以外にはありえないのですが、「ハワイ湯~」レベルの会話しかできなかったぼくに、高等なコミュニケーションがとれていたはずもありません。

でも、ともかくいっしょの便でカイロへ向かい、あっちに着いたら四人で街を回ろうという約束になりました。



そうか、向こうの男は「両手に花」状態だけど、ひとりあまるかも、なんて、若気の至りで期待したりして。アホというよりありません。

ところが、そうです。ぼくには大きな問題がありました。台湾専門旅行社の「立派な手配」のおかげで、エジプトのビザがない!

ビザなしを事前に承知で、アラビア語ひとつ話せないまま「未知の国 古代文明の王国エジプト」へ向かおうなんてバカな日本人は、百年にひとり現れるかどうかでしょう。

そのひとりがぼくだったわけです。

そして飛行機は、砂漠の中に緑のナイルデルタが広がるカイロに着きました(つづく)。