2012年2月28日火曜日

映画だけで完結しない映画作品の感想

観客としての映画には二種類ある。

おもしろいの、つまんないの、と単純に、その映画だけで感想が完結してしまうもの。

もうひとつは、その背景にあるものを深く探っていかないと、映画の感想だけを述べてもあまり意味ないもの。





後者は、おもに「実話もの」といわれるジャンルだ。

ハリウッド映画は、当事者が生きていても、そしてその当事者にとって、あまり愉快でない話であっても平気で映画化される。

日本の場合だと、「さすがにご本人が存命中は映画化できませんよね」という暗黙の了解があるけれど、どうもそういうものはアメリカにはないらしい。



ただ、実話を映画化される当人にとってリスキーなのは、「実話もの」=「真実」という公式が観客の頭にできてしまい、映画監督の腕ひとつで、自分の人生が事実とかけ離れて、いいいほうにも悪いほうにも歪められて固定化される危険性があることだろう。



たとえば実話をもとにした闘病物語、という映画は多い。この種の作品を見て、その映画に描かれていることがすべてだという前提で、「なんだコイツ、こんな身勝手な生き方はねーだろ」みたいな批判をネットに書かれてしまうのがいまの時代である。

つまりそういうコメントは、映画や俳優への評ではなく、映画のモデルとなった実在の人物批判になっているんだけど、言われるほうにとっては、いい迷惑かもしれない。

いかに実話ベースでも、映画のキャラクターと本人は別ものであるのだから。



とはいえ、「実話の映画化」であろうと、本人自身が執筆した自伝であろうと、それが当事者の手を離れて、観客もしくは読者の手に渡った瞬間から、それは受け手側の人生と合体して、ひとつとして同じなものがないオリジナル作品に変貌する。

それはフィクションとまったく同じだ。いや、フィクションより始末が悪い。

人ひとりの生き方を、映画や自伝を通して批判するというのは、いかにもおこがましい行為のように、最近のぼくには思える。

だからなるべく実話ものに関しては、その人物の生き方や行動を批評するのではなく、もしも自分自身がその場に置かれたらどうするだろう、という視点で、自分なりの感想(対外的に発信するか否かにかかわらず)を持とうと思っている。



ちょっと曖昧な言い方になったかもしれないけど、当ブログの「映画」分野で、これから三つの作品(実話の映画化と、実録ドキュメント)について書く予定だが、そのまえがきみたいなものである。