2012年2月21日火曜日

「光速超え」報道で忘れられている視点

ニュートリノが光速を超えて移動したという実験結果が報道されてから、さまざまな見解が飛び交っているが、最も常識的な疑念は「距離の計測が正確ではなかった」というものだ。

こうした報道の数々において、「ある視点」が完全に忘れ去られている。

そのため、報道を聞いた人々の印象として「なぜ専門的な物理学者が、アインシュタインの相対論と矛盾するような結果を、恥ずかしげもなく発表するのか」といった見方が出るのはやむをえない。

しかし、専門知識をまったく必要としないレベルで、メディアの科学担当記者は、量子力学とニュートンに代表される古典物理学との違いについて、つぎの視点を伝えるべきなのだ。




古典物理学のイメージが焼きついた学者は、法則(定説)や過去の観測結果と、新たなる観測結果に矛盾が生じたとき、まずは観測の条件設定や計算結果になにかの間違いがあると考える。

今回、光速より速くニュートリノが飛んだという結果に疑問を投げかける大半の(ほとんどといってもいいかもしれない)学者は、距離計測が間違っていたとしか思えない、とみなす。

万一、再観測でもなお同じ結果が出れば、これまで確固たるものとして定められている法則に例外が生じていることになる――というのが、古典物理学的発想だ。

したがって、メディアの報道の仕方も、今回の実験に携わった研究者たちが「すべてデータを公表しますので、どうぞ私たちの実験の間違い探しをしてください」と言っているかのごとく伝えている。



だが、量子力学を専門とする学者の発想は、まるでこれと異なるところから出て、これまでに幾多の理論を打ち立ててきた。

それは、「定説や過去の観測結果と矛盾する観測結果が出た場合、どちらも正しいとする新法則はないだろうか」という視点から考えを広げていくというものだ。

「光は粒子なのか、それとも波なのか」という問いに対し、「光は粒子であると同時に波でもある」という答えを導いて量子力学の夜明けがはじまったが、二者択一ではなく、どっちも正しいとするための新解釈を見つける、という点で、まるで思考回路が違っている。



だから今回も、CERNの実験に携わった研究者たちは、相対性理論や過去のニュートリノ観測結果も正しいが、今回の観測結果も正しいと証明できる理論を探っているはずだ。

これまでの理論が間違っていた、というのではなく、また過去のニュートリノの観測結果で光速を超えたことは一度もないという観測結果のほうが誤っていたというのではなく、どちらも正しいのかもしれないのだ。

常識と矛盾する観測結果を公表したのは、なにも「私たちが気づいていない観測ミスや論理ミスや計算ミスを見つけてもらえませんか」という、そんな弱気な目的だけではない。

この「矛」と「盾」を両方成立させるアイデアを見つける人、いませんか、という呼びかけでもあるのだ。



もちろん、やっぱりミスがありました、ちゃんちゃん、で終わるかもしれない。

しかし、ニュートリノは光速を超えて飛ぶこともある、という新理論が誕生するチャンスであるかもしれない。

スイス-イタリア間で光速超えを記録できるなら、宇宙空間からスーパーカミオカンデに飛び込んできたニュートリノは、もっと明確な光速超えを記録していなければならない――という反論は、矛盾を矛盾でないとする理論の探求に邁進する量子力学的な見地からいえば、論理的な反駁にはなっていないわけだ。

「観測者の存在そのものが、物質の状態を変える」量子世界にあっては、すべてのミスなく行なわれた観測結果が真実をコピーしているとは言い切れない。

だから、ぼくはなりゆきを興味深く見守っている。