2012年2月17日金曜日

オカルトの真偽を判定する「第四の視点」

超能力/超常現象の真偽を判定するとき、通常はたったふたつの視点からしか検討がなされない。

①一般科学常識
②ウソの心理学

たびたび述べてきているように、ぼくはいわゆるオカルト現象を全否定もしなければ全肯定もしない。

大槻教授的全否定をしないのは、過去に三度、この目で「常識を逸脱した現象」を確認しているからであり、全肯定をしないのは、霊能者=詐欺師という構図があてはまる人物を、あまりにも数多く見てきているからである。




いわゆるオカルト現象はふたつに大別される。

それは人間のウソやトリックが関与しうる現象か否か、という区別だ。

たとえばUFOの目撃で、誰が見ても天空の一角に異常な動きをする光が見えたというケースでは、人のウソは介在できない。それをどう解釈するか、の問題になってくる。その異常な動きを「あれはUFOだ」と断定する人がいても、それは解釈の問題であって、ウソではない。

だが「UFOを撮影した」「ハッキリと形が確認できる大きさでUFOを見た」というケースではトリックやウソが容易に介在しうる。そのウソやトリックは、それを行なった人物の人格(人間性)によって三種類に分類できる。

第一に、あくまで「おふざけ気分」としてのウソやトリック。

第二は、それを霊能商売につなげたり、自分自身に優越意識を植えつけたいという理由から出た不純な動機のウソ。

そして第三は、妄想の域もしくは病的な虚言癖に類するもの。「UFOに乗ったことがある」という発言は、ここに含めざるを得ない。



第二のケースに相当するインチキ霊能者を糾弾するシンプルな論法に、「そんなに未来が見えるなら、なぜ自分自身の運命がわからないのか」とか「なぜあの大災害を予言できなかったのか」というのがある。

昨年の3・11について「この大震災を予知していた人がいた」として話題になったことがあったが、調べてみると、その人はつねに「いまに大地震が起きる」と言いつづけていただけだった、というオチがある。

人間とはあっさりだまされるもので、地震学者が「この先何年のうちに何パーセントの確率で大地震が起きる」と言った場合は、予知は予知でも「地震予知」と呼ばれ、それが的中した場合は「ついに地震予知の確率もここまできた」という科学の進歩として受け止められる。

しかし神がかった霊能者が言い当てると「地震予知」という科学的なキーワードから「地震」の二文字が取れて、代わりに「能力」という文字がつき、「予知能力」になってしまう。そして予知能力の心理トリックが見えなくなってしまう。



こうした、ある種の「邪悪な意図」に基づくオカルト現象捏造の代表が、かつてスプーン曲げで一斉を風靡したユリ・ゲラーであり、そのインチキを徹底的に暴いたのが、マジシャンのジェームズ・ランディだった。

ぼくはジェームズ・ランディの "URI GELLER and SEALED ENVELOPE READING" (ユリ・ゲラーと封筒の中身透視)という講演テープをだいぶ前に聴いたが、きわめて明快にトリックを暴露していた。

ランディはユリ・ゲラーとまったく同じ演出で同じ現象をテレビ番組で再現してみせ、超能力にみえる透視のトリックを具体的に説明しただけでなく、具体的にどういう人物がサクラとして関与していたか、実名まで挙げて明らかにした。

これに対し、ユリ・ゲラーは訴えると言い出したが、ランディが「望むところだ。法廷で闘おう」と宣言したところ、ユリ・ゲラーは沈黙してしまった。



このエセ超能力男が登場したことに対する教訓で、マジック業界には世界標準として、ひとつの不文律ができた。それは、いかに摩訶不思議な現象をみせることができても、それがマジックである以上、絶対に超能力と呼んではならない、というものだった。

だからMr.マリックも「超能力」という言葉を封印し、「超魔術」に切り換えた。

最近は、なんでもかんでもネットで得意げにマジックのネタばらしをする風潮があってマジシャンも大弱りなのだが、そういうネタばらしマニアの人たちが知っておくべきなのは、Mr.マリックにしても、セロにしても、自分を超能力の持ち主だとはひと言も言っていない、という点である。

あくまで「常識を超越したようなマジック」を披露しているのであって、それをオカルト現象だと言い張ってはいない。マジックをオカルトに思わせてはいけないというのが、プロのマジシャンとしての良識なのである。

というのも、ユリ・ゲラーを放置しておいたら、第二、第三のユリ・ゲラーが現れて、それによって人々がエンターテインメントの域を超えてだまされてしまうからなのだ。



ところがマジック業界では有名な話だが、ある地方に住むマジシャンは、この不文律を守らずに、マジックを用いて自らを超能力者とみせ、名前を聞けばあっと驚くほど高名な財界人がそれにだまされていた、というエピソードがある。

そういう視点から、超能力/超常現象の真偽を判定するには、①一般科学常識と②ウソの心理学のほかに、③マジックに関する深い知識 は絶対に欠かせない。



ところで、ぼくが自分の目で確認した三人の人物が見せた超常現象(超能力)は、こういうものだ。

【A氏】は二本の指でこすり合わせるだけで傘のアルミ軸を飴細工のようにねじ曲げた。(そのほかにもあるのだが省略)

【B氏】は心霊投影現象(これは別の機会に詳述)を見せた、というよりは、B氏の降霊現象中に、にわかには信じがたい物理現象が起きてしまい、しかも彼だけでなく、ぼく自身が一種の念写をしてしまったという「事件」。

【C氏】は、ぼくの自宅マンションの鍵を、ぼくに持たせたまま、その一部分を撫でただけで、力も入れずに直角に曲げてしまった。そして、そのあと鍵は平らにまた戻されたが、完全には元に戻らず、使用不能となった。



これらの現場については、ぼくひとりだけしかいなかったというケースはひとつもない。A氏のときはニッポン放送の番組制作スタッフが十人以上見ていたし、B氏のときは、その場にもうひとりがいた。C氏のときは出版社社員など五、六人がいっしょに見ていた。

いずれもぼくが30代のときに体験したものだが、当時のぼくは、いまほど超マニアックなマジックの知識は持ち合わせていなかった。しかし、いまの自分がマジック的視点から再検討しても、これらにトリックが関与する余地はない。



それにしても最大の後悔は、C氏のケースで、なぜ曲げられた鍵をそのままにしておかなかったのか、という点だ。

頑丈なマンションの鍵が直角に曲がる(しかも力ゼロで!)という出来事に驚くと同時に、ぼくの心にはなんとも現実的な困惑が広がった。このままでは、家の玄関が開けられないじゃないか、と。

で、C氏に「おねがいしますよ。元に戻してくれないと家に入れません」と頼んで、世紀の超常現象の証拠を消してしまったのだ。

なんという愚かな判断!

だから帰宅して、妻に一部始終を興奮ぎみに話し、完全には平らに戻っていない鍵を見せても、「実際にそういうことが起きたのかもしれないけれど、私は自分の目で見ていないから信じられない」と言われ、そのときになってはじめて、直角に曲がっていた形を元に戻してもらった失敗に気がついた。



ちなみにこのC氏の卓越した力は、総理大臣時代の竹下登ほか、政界でもよく知られていたが、それは物理的な力ではなく、ヒーリング能力としてのハンドパワーへの信頼だった。

言い添えておくと、その当時ぼくは右膝を傷めていたので、C氏に「手当て」もしてもらったが、こちらは「気のせいかな」程度の効果しかなく、その微妙な回復感も「ぼく自身の心理的期待値による錯覚」という以上の解釈はできなかった。



さてさて、じつは話のメインはここからはじまる。

①一般科学常識、②ウソの心理学、③マジックに関する深い知識――これだけあれば、オカルトの真偽は判定できるだろうと考えてきたぼくは、自ら三つの不思議な体験をしておきながら、それでも世の中において騒がれる大半の超常現象は「人のウソによって引き起こされる」と思っていたし、その不信感は拭いがたいものだった。

自称霊能者・自称超能力者のほとんどは詐欺師、という信念は、過去もいまも、そして今後も決して変わることはないし、それは広く人々が「セキュリティ面からみた常識」として心に置いておくべき基準だと思う。

ただ、自分がまのあたりにした不思議な物理現象に関しては、最近になって、それほど不思議ではないかもしれないと思うようになってきた。しろうとの生かじりながら、量子力学の世界に踏み込んでしまったからである。



アンチオカルト派の代表選手である大槻義彦教授は物理学者であり、日本物理学会の理事である。しかし、大槻教授のアンチオカルト論は、物理学者としての視点よりもまず「すべての超能力者はウソをついている」という大前提に、あまりにもふり回されている気がしてならない。

ぼくは「自称霊能者・自称超能力者のほとんどは詐欺師」という信念を持っているが、あくまで「ほとんど」であって、「すべて」とは言い切らない。漠然とした値でいえば、詐欺師度は99.9%以上という感覚だ。でも100%ではない。

逆にいえば「本物」の存在率は0.1%もないが、0%だとは思っていない。超能力完全否定論者だったら、いかにフィクションとはいえ、角川ホラー文庫のチームクワトロ・シリーズは書けない(笑)。

超能力捜査官たちの物語は、超能力に対する信じられる部分が自分の心にあってこそ書ける話なのだ。



話を戻そう。

最初にぼくは「オカルト現象はふたつに大別される。人間のウソやトリックが関与しうる現象か否か」と書いた。

どうも大槻教授は、せっかく物理学の専門家でありながら、人間のウソやトリックが関与しうる現象についてのみ、100%の不信感を前提にものを論じておられように思える。

そうではなく、人のウソが介在できない世界で、これまでの常識を覆す超常現象が存在する可能性はありやなしや、ということを、プロの専門家として検討してほしいのだ。



前述の現象を引きおこした三人のうち、A氏とC氏が異口同音に述べていたことがある。それは「金属は硬くない」「分子の結合を切断できるから金属を曲げられる」というものだ。

水素の原子核を直径1mと仮定すると、その周りを回っている電子までの距離はじつに100kmという単位になる。原子は、思うほど中身が詰まってはいないのだ。

さらに原子よりも小さな単位である素粒子の世界に足を踏み入れると、けっきょくこの世の中は(宇宙は、と言い換えてもいい)四つの力に支配されていることがわかった。

「電磁力」と、クォークどうしを結びつけるグルーオンにみられる「強い力」と、ウイークボゾンという質量の大きな素粒子が関与する「弱い力」、そして「重力」である。

このうち「電磁力」と「強い力」と「弱い力」の三つを統合する「大統一理論」は、実験的証拠はまだ得られないものの、理論的にはほぼ完成の域にあるとされている。

ところが、我々にとって最も身近な存在である「重力」を統合する最終的な統一理論がなかなか完成しない。

なぜかといえば、ほかの三つの力に較べて、あまりにも重力が弱すぎるから、21世紀の最新型加速器をもってしても、検出が不可能だからだ。つまり、実験による実証ができないのだ。



万有引力でおなじみの、巨大な天体の運行を左右する重力が最も弱いとはにわかに信じがたいが、重力は「弱い力」に較べて、さらに10の32乗も弱い。

なのにぼくたちが日常で重力をしっかりと感じるのは、それだけ地球がバカデカイからだ。ぼくたちが感じているのは、地球に対する重力であって、たとえば鉛筆と消しゴムを近づけて、そこに発生するはずの引力などは、どうひっくり返っても感じることはできない。

人間が感じられないだけでなく、検知機器もとらえることができない。



ぼくたちがものを見るときは光の粒子によって、その反射光を情報として捉えることで「見る」という行為が成立している。これは『幻影城の奇術師』のプロローグでも聖橋博士に述べさせた。

ところが素粒子というミクロの世界を観察しようとすると、観察のために用いる光量子自身が、観察対象の粒子をはね飛ばしてしまうため、相手の位置や運動の座標を正確に特定できないというパラドックスに陥る。

ドイツの理論物理学者ベルナー・ハイゼンベルクが1927年に発表した「不確定性原理」だ。



つまり、ぼくたちが住んでいる世界を構成する最小単位は、未来永劫、正確な形で人間の前に姿を現すことはないのだ。

だが量子力学では、ともかく理論だけでも先行していかなければならない。そして素粒子世界で最も微弱な力である重力を、ほかの三つの力といっしょに表記できる数式を物理学者たちはいま追い求めている。

そこで「超ひも理論」(超弦理論)というものが登場し、10次元とか11次元という世界が真剣に論じられるようになった。



1998年に、まだ当時26歳という若さだったイラン系アメリカ人のニーマ・アルカニ=ハメッド、46歳だったトルコ生まれのギリシア人サヴァス・ディモプロス(彼はシカゴ大学で、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎のもとで学んでいた)、そして34歳だったグルジアの首都トビリシ生まれのグルジア人ジア・ドゥヴァリの三人によって、奇想天外な着想が発表された。

それは日常空間が三次元であるという固定観念を捨てなければならない、というところからはじまるものだった。



彼らの苗字のイニシャルをとって「ADD模型」と呼ばれるこの概念を知ったとき、短絡的かもしれないが、ぼくは自分が過去にこの目で見た三つの超常現象が、そう遠くないうちに量子力学的に説明をつけられる日がくると感じたのだった。

ぼくが専門家としての大槻教授に望みたいのは、実験室レベルでの超常現象の否定ではなく、最新の素粒子理論に基づいた理論面での超常現象の可能性についての考証である。

実験では得られない世界に解決の鍵があるのは間違いないからだ。