2012年1月24日火曜日

三島由紀夫のことば

ぼくの大学の卒論は三島由紀夫論だった。

絶対にたいした内容ではなかったという確信があるのだが、いまから数年前に、退官されるゼミの先生の判断によって、大学に保存版として残されることになったらしい。

その三島由紀夫が1962年に起きた小澤征爾の「N響事件」について、非常に含蓄のあることを述べている。






その前に、超かんたんにN響事件について述べると、こんな出来事だった。

カラヤンやバーンスタインに師事したというハクもあって、1961年、26歳という若さでNHK交響楽団の客演指揮者として招かれた小澤征爾は、1962年の晩秋、遅刻の常習者であったことや、指揮のミスによって、楽団員から「もう小澤のもとでは演奏をしない」とボイコットを受ける。

小澤には小澤の言い分があったが、見苦しい弁解として斬って捨てられ、ついに小澤は1995年に和解するまで、N響で指揮をすることはなかった。

これに対して劇団四季の浅利慶太や石原慎太郎ら、当時の若手文化人らが中心となって小澤擁護の論陣を張るのだが、その中で、三島由紀夫が朝日新聞に寄稿した文の中に、こういう一節がある。



《小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である


うん。

太字にしたラスト部分、この一年近く、ずっとそれを感じているのだ。