2011年12月30日金曜日

年末雑感③意見は人格の一部にすぎない

インターネットが普及してまもないころは、ネットの危険性について語られるときは、その匿名性に焦点が当てられていました。

匿名ゆえの暴言とか、いまや死語になった感さえある「ネカマ」なんて言葉によって、ネット上の偽装キャラが問題になったりしたものです。

でも2011年におけるネットの危険性は、見ず知らずの人間同士が、同じ意見だというだけで安易に相手を信用し、意見が違うというだけで人格まで批判しあうというところにある――と、ぼくは感じました。





もしかすると、これこそがネットという怪物の最も恐ろしいところかもしれません。



ぼくは「意見」というものは、人格を形成するほんの一部にすぎないと思っています。

またその「意見」というものは、時の流れに応じて随時変化していくものだし、それでこそ人間だと思います。

ネットのように、いちどアップしたものを消してはならず、後日それと異なる意見を述べたら、変節を糾弾されるというのは、きわめて歪んだ世界といえます。



また、ネット上でしか接点のない見ず知らずの相手に対して、特定のテーマにおける意見が一致したから「あの人はいい人だ」と評価したり、評価するだけでなく人柄まで信用したり、その反対に、意見が異なるだけで「あいつは最悪だ」と決めつける――これが、たぶんネットがもたらす最大の幻覚であり、最大の罪悪でしょう。



テレビ番組などで番組上は罵声を浴びせかけて激論を戦わせている人間同士が、収録が終われば仲良く飲みにいったりするのは、ごくごく普通にみられる光景です。

意見は意見、人柄は人柄――それが健全な討論というものですが、ネットではそれがない。意見と人格が一致するものだとみなされる。


ひどい錯覚です。


2011年は、激論となる深刻なテーマがあっただけに、とくにそれが目立ってきたように思います。