2011年12月25日日曜日

いろんな外国語②フランス語-「しゃべる」とは演奏である、と教えてくれた言語

英語を除けば、最も早く外国語にふれたのが、以前書いたように中学生のときにフランス・ギャルとの出会いによって関心を持ったフランス語だった。

その後、長いなが~いブランクを経て、ことしの3月から勉強再開して、フランス語だけは一日も休まず独習をつづけてきた。

この言語に13、4歳のときに出会ったおかげで、ことばをしゃべるとは唇、歯、舌、口蓋、鼻を総動員した「演奏」である、という真実に早くから気づいていた。




前にも少し書いたが、日本人がなぜ外国語の習得が苦手なのかということについて、ぼくなりに分析した理由がふたつある。

第一はNHKニュースのせいである(マジ発言です)。



NHKニュースがお年寄りにもわかりやすくするようにという配慮からだと思うが、きわめて遅いスピードの原稿読みをすることによって、日本人の脳には、アレがことばを聞き取るノーマルスピードだという標準速度が設定されてしまった。

さらに政治家に代表されるように、大事なことをしゃべるときほど、ゆっくり話す必要があるとの思い込みによって、日本人が行なう演説のスピードはガタ落ちに落ちた。いま、速度をゆるめずに普通のスピードでしゃべる政治関係の人間は、橋下徹ぐらいか。

その結果、外国語ではない自国語であるにもかかわらず、日本人は速いしゃべりの速度についていけなくなった。

速くしゃべることもできなければ、速いしゃべりの日本語を聞き取るのに疲労感を覚える――母語でこれでは、多くの外国語についていけない。

いわば高速道路で世界の車がビュンビュン飛ばしているところに、牛車で乗り込むようなものだからだ。

無理に会話の速度を上げると、「朝まで生テレビ」でコーフンする議員を見て明らかなように、なにをしゃべっているんだか自分でもわからなくなって、ただひたすら感情的になるのみだ。制限速度を超過しているからである。



重要なのは、これがたんに「しゃべる速度」を意味しているのではなく、思考回路の速度にも関わっている、という点だ。日本語脳は、人とコミュニケーションする場面において、あきらかに回転が遅い。

日本語の会話によって得られる、あるいは伝えられる1分間あたりの情報量は、たとえば英語と較べれば格段の差となる。

前も書いたけれど、NHKがニュース原稿を読む速度を1%でも上げてくれれば、日本人の外国語聞き取り能力は向上するはずである。



さて、日本人が外国語習得が苦手な第二の理由は、日本語は舌と唇にほとんど負担をかけない言語だから、「筋肉」とか「神経」がなまりきっているのである。

これは『たった3カ月でTOEICテスト905点とった』でも書いた例だが、我々が、たとえばファミレスで係の女性を呼ぶときに「すみませ~ん」とは決して言わない。「すいませ~ん」である。

「す」から「み」へ移行するときに唇を閉じるのがめんどくさく、「ま」でようやく閉じるからだ。

いや、「ま」で唇を閉じるのさえめんどうで、「すいあせ~ん」かもしれない。

いやいや、「す」だって、そのように発音していないかもしれないぞ。

「そあせ~ん」



このときぼくたちの唇は、腹話術の天才いっこく堂並みに動いていない。




スペイン語の第一歩でまず言われることは「母音はほとんど日本語と同じと考えて差し支えありませんが "u"は唇を丸めて突き出すようにします」

日本人はウ段を発音するときでも、唇は弛緩しっぱなしだから、こういう注意を受けてもなお、ユルユルのウしか発音できない。

ぼくの苗字「よしむら」の「む」のように、唇を合わせるウ段になると、ちょーめんどくさいわけで、日本語であるにもかかわらず、母音のuは脱落して「よしmら」になる。

「うつくしい」のように、ウ段が三つも連続するともうあきまへん。かつての安倍総理が自ら掲げたキャッチフレーズを正しく言えず「うちゅくしいニッポン」になってしまったのは記憶に新しい。



唇も動かなければ舌も動かない。

英語の"r"音が苦手というのは序の口で、フランス語の "r"になると、よく「うがいするように」とか「のどを震わせるように」と言われるけど、そうではなく、ようするに日本語ではふだん使わない舌の中央部・側部・奥部が働いている感覚をつかめるかどうか、だと思う。

フランス語といえば「ぐじゅぐじゅぐじゅ、とれびや~ん」というイメージだが、その「ぐじゅぐじゅ」感はひとえに舌の使い方によって行なわれ、「とれびや~ん」の鼻に抜ける、いわゆる鼻母音だって、じつのところは、舌の微妙な動きによって、口に出る呼気をふさいで鼻に抜いているから可能になる。



アラビア語の「カーフ」や「アイン」のように喉の奥から出すような音も、ドイツ語の摩擦音も、喉だけでなく、日本語では一切使わない舌のテンションがあればこそだ。

ぼくたち日本語民族は「舌」の動きというと、せいぜい舌先にしか神経が行かないために、舌の奥を使うという感覚はなかなか思い至らない。

また舌先の感覚でさえ、舌の先端は歯の裏側近辺を動き回る程度で、口蓋中央部まで持ち上げるような中国語やヒンディー語にある反舌音は、日本人の口腔内スペックにとっては、最初から設定されていない機能になっている。



舌や唇を動かさない言語を母語にしていることと、よく言われる日本人の無表情とは決して無関係ではないと思うが、言語は口や唇を使った演奏であると考えれば、外国語を演奏するときには、日本語を演奏するときとは、別の楽器に取り替えるぐらいのつもりでいたほうがよい気がする。

フランス語は、そのことを早いうちからぼくに教えてくれた言語である。