2011年12月19日月曜日

「さん」と言ってしまったとき

金正日総書記死去。

15年前だったら、さあこれからどうなると大騒ぎになっていただろうが、21世紀に入って10年以上も経った現在では、衝撃は相当に小さい。

旧ホームページ2008年4月28日に書いた記事を再掲します。




【2008/4/28】

◎北朝鮮の恐ろしさも、テレビの映像を観ているだけでわーわー言っても、現地に行かないとわかるわけがない。

まだテポドンが飛ばされる前のことだ。一週間の行程で北朝鮮を回る旅の第一歩で、私は日本語がきわめて達者な年配のガイドから「日本にいちばん近くて、いちばん怖い国へようこそ」と言われた。

アジア最高のブラックジョークだ。笑うしかなかった。笑わなかったら、本気でシャレにならない。



◎北朝鮮に拿捕され、銃撃の穴だらけになったアメリカの駆逐艦プエブロ号の中に入った。

天井の蛍光灯が半分消えた薄暗い学校の中で、たくみな英語を操ったり、美しい刺繍を編んでいる、やらせとしか思えない整然たる学校の授業を参観した。

いざというときの核シェルターになっている深い深いホームへ降りてゆき、金日成・金正日親子の額が飾られた地下鉄に乗った。

泊まった高麗ホテルでは、盗聴を懸念して国際電話をかけなかったが、かけた人によれば妙にエコーがかかっていたという。


◎ちょうどメーデーにぶつかり、北朝鮮軍人の大行列にまじって金日成の生家を見た。


平壌の東京タワーともいうべきチュチェ思想塔から見下ろして、この街がいかにショーウィンドー化されているかを見た。

30分以上走って、ほかに車一台も出会わなかった高速道路をバスで走った。



◎北朝鮮屈指の観光地・金剛山の岩壁に刻まれた文字を見て、若いガイドに「あれは金正日さんのことを書いてあるんですか」とたずねたら、「『さん』とはなんだっ!『偉大なる金正日総書記』と言えええっ!」と血相変えて、ものすごい勢いでつっかかってきた。

本気で殴られると思った。ガイドに、だ。

そばにいた前述のベテランガイドがあわてて飛んできて、興奮する若い部下をなだめてくれたので、大事に至らなかった。

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金正日の後継者も、父親がそうであったように、一人民にこれだけの熱狂的崇拝を与えることができるかどうかが今後のポイントだろう。

ぼくが北朝鮮に行ったときは、ウインドウズ97の発売により、ようやくインターネットというものが日本でも商用開始されてまもない時期で、まだまだネットの持つ力は未知数だった。

しかしいまは、中国がそうであるように、社会主義体制の国家元首が最も怯えているのはネットの力だ。これがどう作用するか。



ちなみに2008年4月28日に、なぜこういう北朝鮮の思い出話を書いたかといえば、その二日前に長野市で行なわれた北京五輪聖火リレーで、中国人留学生総動員の「赤い軍団」の、我がもの顔にふるまう姿をイヤというほど見せつけられたからだった。

つまり、いまは北朝鮮どころではない、という趣旨で書いた記事の一部である。



ぼくが北朝鮮に行ったころは、「もしも金正日政権が崩壊したら」という趣旨の本がたくさん出版されていた。そこに書かれているシミュレーションは、大変に恐ろしい筋書きだった。

だが、いまはそういう出版物をあまり見かけなくなった。

中国の脅威が増せば増すほど、北朝鮮の恐ろしさは小さく感じられる。それが、金正日総書記死去の報が、思ったより大きなインパクトを与えない最大の理由かもしれない。