2011年12月16日金曜日

ある感動のストーリー4

その後も何度か危機に見舞われたウワディスワフ・シュピルマンにとって、こんどこそ絶対に助かることはできないと思われる事態が発生したのは1942年8月16日だった。

両親と、ふたりいる姉のうちのひとりとともに、ゲットーの北端にあるウムシュラークプラッツ収容地への集合を命じられたのだ。もうひとりの姉と弟は残された。

ウムシュラークプラッツは8000人のユダヤ人を収容できる能力がある。だが、そこは最終地ではなく先があった。





収容地には鉄道の引き込み線があって、その線路の延びていく先にトレブリンカ絶滅収容所がある。もちろん、ユダヤ人たちは漠然とした噂や推測でしか、その存在を知らない。

もし知っていたら、鉄道の引き込み線を見た瞬間に、パニックの嵐となっただろう。

しかし、ウムシュラークプラッツもじゅうぶんに恐怖の地であった。死体置き場があり、虫けらのように惨殺された、こどもを含む死体が転がっていたからである。




せめて弟ともうひとりの姉だけは助かってくれと願うシュピルマンは、群衆の中にふたりの姿を見つけて愕然とする。家族と離れるわけにはいかないと、ふたりは自分たちからここへきたのだ。

午後5時、空腹を覚えたシュピルマンたちは、家族でありったけの所持金を集めて、物売りの少年から法外な値段でキャラメルを一個買う。

父親がそれをナイフで六つに切り分け、みんなで食べた。それがシュピルマン家最後の晩餐となる。



午後6時、出発前の最終選別がはじまった。若くて屈強な男たちが、労働力として確保され、移送から除外された。

残された者の顔に絶望の色が漂う。

やがて遠くで汽笛が聞こえ、十数台の家畜用貨車が入ってきた。夕方のそよ風とともに、猛烈な塩素臭が運ばれてくる。

ものすごいリアリティ。映画では表現できない匂いが、シュピルマンの文章から漂ってくる。



発砲音に脅され、女こどもは泣き叫びながら、塩素臭のむせ返る貨車に乗せられていく。かろうじて立っていられるほどの詰め込まれようだ。そしてシュピルマン一家も、あと少しで乗ろうというとき、ウワディスワフだけが襟首をつかまれ、列の外へはじき出されてしまう。

知り合いのユダヤ人警察官が、とっさの機転で彼ひとりを助けたのだ。

自分だけ助かるわけにはいかないというシュピルマン。だが、もう警察官の列にはばまれて戻れない。


「なにをやっているんだ、早く行けよ。助かったんだぜ」

警官のことばを聞いて、シュピルマンは愕然とする。家族は殺されに行くのだ、と、そのときはっきりわかった。

弟と姉が、母たちを貨車に引き上げる姿が見えた。まだ貨車に乗っていない父親は、姿の見えなくなった長男を探している。

呼ぶと目が合った。苦痛に満ちた顔で父は片手を上げ、貨車のほうへ歩いていった。



やがて貨車の扉が閉じられ、貨車はゆっくりと走り出していく。

ユダヤ人警官が、SS隊員にこびるように笑いながら言う声がシュピルマンの耳に届いた。

「ほら、あれは溶かされに行くんですよね」

シュピルマンは大声で泣きながら、その場を去った。


【ある感動のストーリー5 へつづく】