2011年12月14日水曜日

ある感動のストーリー1

いま、年の瀬とあって、とっても忙しいのだけれど、ぼくがことしになって読んだ本に関係した感動の物語を、何度かに分けてご紹介したいと思う。

まずはこのことばから。

「ハリーナ、おまえの人生なんだから、おまえ自身が決めなさい。人間というものは、完璧な計画のもとに人生を送れるわけじゃないんだ。将来どうなるか、どうしたいとか考えてもその通りになるとは限らない。今のおまえの気持ちを大切にしなさい。パパやママのことは気にしなくていいからね」





旧ホームページに何度か書いたと思うが、ぼくも同じことを娘につねに言いつづけてきた。

大学受験や就職や、そのほか人生のさまざまな分岐点で、親としてアドバイスはするけれど、重要な選択場面であればあるほど、最後は自分で決めなさい、と。

自分で決めたら、それを後押しするのが親の役目だ、と。

そういうポリシーでこどもの人生を考えてきたから、このことばには「そのとおり」と大きくうなずいた。



さて「ハリーナ」という名前が出てきたところからわかるとおり、引用したことばは外国人が発したものである。

ユゼフ・グジェチュナロフスキ。

ポーランド人。



小説の登場人物ではない。実在の人物である。だが、ネットでググってみてもヒットはしない。

首都ワルシャワから100kmほど南にあるラドムという街の市長ではあったが、近親者がそういう経歴を紹介してくれない限り、21世紀のいま、彼の名前を知る人は皆無に等しいだろう。

のちに彼の婿となる人物が、20世紀最後の年に亡くなって数年後、突然、あるきっかけで世界的な有名人となるのとは対照的に、ユゼフ・グジェチュナロフスキの名前は、これから先も人の口にのぼることはほとんどないだろう。



そのユゼフが、結婚を迷っている娘のハリーナに向けたことばが冒頭のものだ。

前後関係から推測するに、第二次大戦が終わってまもない1949年から1950年あたりに発せられたものと思われる。



彼の孫(つまりハリーナの息子)によれば、ユゼフは帝政ロシア時代にポーランド独立の地下工作に関与していたことで逮捕されて死刑判決を受け(推定1905年ごろ=つまり日露戦争のころ)、シベリアの収容所で足に鎖をつながれ12年を過ごした。

そのときの鎖の跡が生涯消えず、孫は「おじいちゃん、そこ、どうしたの」とたずねたという。

しかし1917年、ロシア革命で帝政ロシアが倒れたことからシベリアを脱出。

ところが自由の身はいつまでもつづかず、1939年の第二次世界大戦の勃発とともに、こんどはドイツ軍に逮捕され、けっきょくまた6年間、収容所生活となる。



そんな苛酷な体験の持ち主であるからこそ、ユゼフが娘のハリーナに語った言葉には重みがある。

《人間というものは、完璧な計画のもとに人生を送れるわけじゃないんだ。将来どうなるか、どうしたいとか考えてもその通りになるとは限らない。今のおまえの気持ちを大切にしなさい。》



ポーランド人のユゼフが語ったこのことばは、年齢的にはぼくと同世代になる孫によって本に紹介され、それをまたぼくがこうやって紹介しているわけだが、日本語で表わしている以上、そこには翻訳者なりのニュアンスが介入していると思われるだろう。

ところが、一字一句そのまま引用した上記の文章は、ユゼフ・グジェチュナロフスキの孫自身が、日本語で書き表わしたものなのである。

彼には、日本人の血が一滴も流れていないにもかかわらず。


【ある感動のストーリー2 へつづく】