2011年12月28日水曜日

いろんな外国語③キニャルワンダ語―20世紀最後の大虐殺を生き抜いた言語



先日、6回にわたって「戦場のピアニスト」のドキュメントを書いた。

ナチスによるホロコーストも悲惨だったが、ある意味でそれをしのぐ残虐なジェノサイドが20世紀も終わろうとする1994年に起きた。

アフリカのルワンダにおける、フツ族によるツチ族の大虐殺である。少なく見積もっても80万人のツチ族がフツ族によって虐殺された。


「ホテル・ルワンダ」(2004)〈=写真上〉という題名で映画化もされたが、この大虐殺のときに、1268人のツチ族や穏健派フツ族をホテルにかくまい、周囲で惨劇が繰り広げられている中、ひとりの犠牲者も出さずに、避難者全員の命を守り抜いたホテルマンがいた。



ルワンダの旧宗主国であるベルギーのサベナ航空のグループがルワンダの首都キガリに建設したディプロマット・ホテルの総支配人であり、近くにもう一軒あった系列のホテル・ミル・コリンの管理を任されていたルワンダ人のポール・ルセサバギナである。



彼は、自らはフツ族だが、妻がツチ族であったために、非常に微妙な立場に置かれていた。映画では、この役をドン・チードル〈写真・左〉が演じた。

彼は「オーシャンズ11」ではひょうきんな爆破のプロを演じたが、一転してシリアスな役どころを熱演し、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。

だが、残念ながら受賞はならなかった。(※このとき受賞したのは「Ray/レイ」でレイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックス。相手が強すぎたというべきだろう)



ぼくは映画を見たあと、すぐにポール・ルセサバギナの著書「ホテル・ルワンダの男」を読んだ。

もう一冊、フツ族に左手を切り落とされ、片目をえぐられても、ついに生き延びたレヴェリアン・ルラングァの体験記「ルワンダ大虐殺」も読んだ。

それらの本に、このルワンダの大虐殺がナチスによるユダヤ人ホロコーストと、なにが決定的に違うのかが明らかにされていた。



ある白人が素朴な疑問を呈した。フツ族がツチ族を虐殺したというが、はためにはまったく区別のつきにくい両種族を、どうやって見分けたのか、と。

たしかにルワンダ国民はフツかツチかという、種族名をスタンプされた身分証明書の携帯が義務づけられていたが、そんなものを頼りにする必要もなかった。

「隣人がツチかフツかは、誰にでもわかる」



この言葉が意味する恐ろしさがおわかりだろうか。

つまり、ナチスドイツがユダヤ人という「異民族狩り」をしたのと違って、ルワンダでは大虐殺開始の直前まで、仲良く隣人として共生していた片方が、もう一方を殺しはじめたのだ。

ここでいう「隣人」とは「同胞」といった漠然とした概念ではない。文字どおり隣の家に住んでいる人間のことだ。

「マチューテ」と呼ばれるナタをふりかざした隣家のフツ族の男が、いきなり「お隣さん」のツチ族の家になだれ込み、一家皆殺しをはじめたのだ。

自分の息子や娘と仲良しの友だちで、家に遊びにきたこともある少年少女にもためらうことなく襲いかかった。



女子供だからといって、フツ族は容赦しなかった。

フツ族の最終目的がツチ族の消滅である以上、将来のある子供や、子供を産む女性こそ、最初に抹殺されなければならなかったのだ。

しかも、まず逃げられないように足の腱を切り、動けなくしてから、なぶり殺しにする。その際、決してひと思いに殺してはならない。手足を一本ずつ切り落とし、妊婦とわかれば腹を割いて子供を取り出す。

そして、まだ息のある妊婦の前で、まず胎児を殺してみせる。

そうしたなぶり殺し方式だったからこそ、レヴェリアン・ルラングァのように腕と片目を失っても、死んだふりをして奇跡の生還を遂げた者もいたわけだ。

このレヴェリアンも、自分の腕を切り落としてきた人物は顔見知りだった。シボン・シボマナと名前までわかっている。バーの経営者だ。

穏健派フツ族であるポール・ルセサバギナも、いざというときのために現金を持ち歩いていた。同じフツ族に殺される局面になったとき、命乞いのためではなく、どうかなぶり殺しにせず、ひと思いに拳銃で射殺してくれ、と頼むための金である。



これがルワンダ大虐殺の特殊性だった

ちなみにフツ族は虐殺開始の少し前に、凶器であるマチューテを安価に大量輸入している。仕入れ先は中国である。



さらにナチスのホロコーストと決定的に違うのは、時代は1994年であることだ。当然、現地の悲惨な状況は国連にもホワイトハウスにも伝わっていた。

その現地から救いを求める悲痛な叫びを握りつぶした国連の事務当局者が、同じアフリカ出身で、のちに国連事務総長となりノーベル平和賞まで受賞したコフィー・アナンであり、百万近い犠牲者が出ていると知りながら、前年ソマリアで起きた「ブラックホーク・ダウン」に懲りて米軍の派兵を見送り、知らん顔を決め込んだのがビル・クリントン大統領である。

彼らに対するポール・ルセサバギナの怒りはすさまじい。

つけくわえるなら、フランスのミッテラン大統領はこういう言葉を残している。

「ああいった国では、虐殺などたいした問題ではない」



1268人を救った支配人ポールが、フランス語と並んでルワンダの公用語であるキニャルワンダ語の美しさを語っていたので、ぜひこの言語を勉強したいと思った。

ところが、日本語の教材がないのは当然として、英語の音声教材も見当たらない。ようやく見つけたのが、ドイツの出版社から出ているものだった。

ドイツは、第一次大戦に敗れてベルギーに宗主国の座を明け渡すまで、ルワンダを支配していた。



ドイツ語版のCDとテキストを取り寄せた。

だが、ぼくのドイツ語ボキャブラリーでは、とてもではないが、ドイツ語によってキニャルワンダ語を学ぶことはできない。

そこで登場するのが「グーグル翻訳」である。ここにドイツ文を入れて(ウムラウト記号付きの文字やエスツェットもきちんと打ち込んで)英訳する。どの翻訳ソフトも、日本語に直すと文章がめちゃくちゃになるので、英語に訳すのがよい。

そうすればドイツ語とキニャルワンダ語が同時に学べるという一石二鳥である。

いまの時代、アフリカの小国の言語も、こうやって、やる気しだいでちゃんと学べるのだ。



なお、ポール・ルセサバギナがどうやってひとりの犠牲者もなく虐殺の嵐を切り抜けたのかは、映画「ホテル・ルワンダ」をごらんいただきたい。


映画「戦場のピアニスト」はきわめて原作の手記に忠実だったが、「ホテル・ルワンダ」も大筋ではポールの体験をなぞっている。一部、脚色もあるとポール自身が語っているが、しかし、妻と子供たちが脱出寸前で殺されかかるところなどは、まさに現実どおりだ。

補足だが、この映画でポールの妻タチアナを演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされたソフィー・オコネドー〈写真・右〉は、父がナイジェリア人で母はユダヤ人である。


きっと、特別な思いをもって撮影に臨んだに違いない。