2011年11月26日土曜日

トム・ピリビはふたつ、おうちを持ってい~た~

教材だけ買っておいて、まだはじめていない言語にセルビア・クロアチア語がある。

この表現は、いわば「朝鮮・韓国語」と言うに等しいもので、両者のあいだに大きな違いはない。ところがおたがいの民族が昔から憎しみあっていたうえに、ユーゴスラビアの分裂によって、別々の国になった時点で、もうこの表現は使われなくなった。

セルビア語とクロアチア語に、政治的に分かれたのだ。

で、このセルビアに抱え込まれるような形で、コソボの隣にモンテネグロ語を話すモンテネグロという国がある。

そこで思い出したのが、ぼくが小学生のころ「NHKみんなのうた」で流行った「トム・ピリビ」の歌だ。




1961年(昭和38年)の6月から7月にかけて、楠トシエの歌で放送されたが、ぼくの心に残っているのはダークダックスのバージョンだ。

http://www.youtube.com/watch?v=Oy9_2-1lsU0

トム・ピリビはふたつおうちを持っていた エコースにひとつ モンネグロにも

という出だし。


この名曲は、いまではテレビでもラジオでも聞かれない。2番の歌詞、賢いオウムが「アラビア語も支那語もなんでもしゃべる」という部分が差別用語「支那」で引っかかった。

渡辺はま子や李香蘭の「支那の夜」という名曲が放送禁止になったのと同じ理由だ。

元歌には、こんなフレーズがなかっただけに惜しいところ。



これの元歌は童謡ではない。1956年にはじまり、現在もなおつづいているユーロビジョン・ソング・コンテストの第5回(1960年)優勝曲で、ジャクリーヌ・ボワイエという当時19歳の女の子が歌った「Tom Pillibi」だ。

ありがたいことに、フランク・プゥルセルのオーケストラで歌っているロンドン会場でのコンテスト映像が残っている。

http://www.youtube.com/watch?v=RYxRIujyKgg



出だしはこう歌っている。

Tom Pillibi a deux châteaux – le premier en Écosse.
Tom Pillibi a deux châteaux – l'autre au Monténégro


トム・ピリビが持っているのは「おうち」ではなく「お城」と、スケールが大きい。歌詞の視点はトム・ピリビの恋人である。

Écosseとはフランス語でスコットランドのこと。彼は英国にもバルカン半島にもお城を持ち、黄金やサンゴや美しい宝石を求めてこの世の果てまで航海する船を二艘持っている。

私の彼はとってもやさしいけれど、でもひとつだけ欠点があるの。それは大ボラ吹きだということ。でもいいの。彼の腕に抱かれているときは、私は大きな国の女王さまなのだから――という可愛い歌詞だ。



5年後の1965年、第10回のユーロビジョン・ソング・コンテストで、ルクセンブルグ代表曲として登場し、優勝の栄冠を勝ち取り、日本でも爆発的なヒットとなったのが、フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」だ。

http://www.youtube.com/watch?v=kp93flpMav0&feature=related

当時中学生だったヨシムラ少年はフランス・ギャルにはまり、いまでいうところのAKBおたく状態となって、出る新曲はシングル、コンパクト(当時は4曲入りをこう呼んだ)、LPすべて買い、ファンクラブにも入り、NHKラジオのフランス語講座も聴きはじめた。




1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストでは、また新たなヒット曲が誕生した。

「トム・ピリビ」を作曲したアンドレ・ポップがヴィッキーという、当時まだ17歳の、いかにもギリシア人という顔立ちをした少女歌手にルクセンブルグ代表曲として与えたナンバーで、4位に終わったが、これをポール・モーリアがイージーリスニングにアレンジしたところ、アメリカと日本で大ヒットとなった。

「恋はみずいろ」である。

http://www.youtube.com/watch?v=nD4ib9-laGY&feature=related



アンドレ・ポップは「トム・ピリビ」「恋はみずいろ」のほかに、もうひとつ日本でスマッシュヒットを放っている。もとは1966年にマリー・ラフォレのために書いた「マンチェスターとリバプール」。

http://www.youtube.com/watch?v=NuLV_LHY7mk&feature=related



これを2年後の1968年にピンキーとフェラスという女性1人+男性5人のイギリス人グループがカバーした。

http://www.youtube.com/watch?v=YQDl6FXuqKk


イギリスではまったくダメだったが、なぜか日本では3月に発売されるなり大ヒット。高校生のぼくは深夜放送のラジオで何度となく聴いた。


そしてその4カ月後の1968年7月、このグループ名にそっくりで、英国を連想させるダービーハットをかぶってステッキを持つという、意表をついたコスチュームで登場した女性1人+男性4人のグループが、グループサウンズ全盛だった日本の音楽シーンに新風を巻き起こした。

ダブルミリオン以上をセールスしたピンキーとキラーズ「恋の季節」である。

http://www.youtube.com/watch?v=3HKa4uwPdik&feature=related



ぼくは高校三年のときに文化祭のために「ある日突然」という題で、ピンキーとキラーズがタイムマシンでソクラテスやクレオパトラや夏目漱石と合流するというめちゃくちゃな筋書きのSF物語を書き下ろした。

いま思えば、ぼくの作家人生を作ったのは「トム・ピリビ」の作曲者アンドレ・ポップかもしれないのだ。



長々と思い出話をご静聴ありがとうございました。