2011年10月5日水曜日

ブラックスワン(2010)


映画を見にいくとき、人はどれくらいの予備知識を持っていくのだろう。



ジャンルというものをすごく気にする人はいるだろう。そしてジャンル分けというものは、えてして否定的に用いられることが多い。

積極的に「このジャンルが好きだから見にいく」というより「このジャンルはダメだから見ない」というケースのほうが多いのではないか。


たとえば、よくあるパターンは「邦画は絶対見ない」とか、その逆に「洋画は苦手」とか。

あるいは「ホラーはダメ」とか「コメディーはダメ」とか。




ぼくの場合、とにかくありとあらゆるジャンルの映画を見るから、ジャンル分けという視点での拒否感はあまりない。ぼくの映画鑑賞におけるジャンル分けは、たったひとつの基準しかない。

「面白い映画」と「面白くない映画」だ。

しかし、これは実際に見てみないと正確なところはわからない。そこで「面白そう」か「面白くなさそう」かは、自分の経験的な直感によって読み取るほかない。

さすがに「これは絶対つまんなそう」と予感した作品を、レンタルDVDならまだしも、わざわざお金出して映画館まで確認にいくムダはしない。



さて『ブラックスワン』。

見る前には、監督が『レスラー』のダーレン・アロノフスキーで、主演のナタリー・ポートマンがこれでアカデミー主演女優賞を獲ったという以外の知識は何もなかった。

しかし『レスラー』がめちゃくちゃよかったので、もうそれだけで一定の信頼感はもてる。それに主演女優が彼女なら大ハズシはないだろう、と……。



で、ほんとにそれ以外は、なにも予備知識なしに作品の中に入っていった。

これが結果的にすごくよかった。というのは、この作品は「○○○」という単一ジャンルでくくれる種類のものではなかったからだ。むしろ、ジャンルを決めつけて見にいった人のほうが、自分の期待値と戦うことになったかもしれない。



なんの予備知識もなかったから、映画がはじまると、「白鳥の湖」の「黒鳥版」というユニークな設定のバレエ作品における主役の奪い合い、という「女の確執」ドラマなのかな、と思っていた。

と同時に、バレエをテーマにしたときにつきものの撮影上の二大困難をどうやってクリアするんだろうと見ていた。



第一の困難は「ダンス・ダブル」――いわゆる吹き替えだ。

アロノフスキー監督の前作『レスラー』では、主演したミッキー・ロークが、役者として冷や飯を食っていた時代にプロボクサーをやっていたというキャリアがあったから、おちぶれたレスラーを演じるとき、つくりものではない、あの筋肉美を見せることができた。なにより、ファイトそのものにリアリティが出た。

だから同監督がバレエを題材にした映画を撮るときにも、プロのバレリーナが見て、なんだこれ、ということにはしないだろうと思っていた。

しかし、バレエ映画の場合は、草刈民代さんのように本職のバレリーナが映画の主役を演じる場合を除けば、プロのバレリーナでない役者がすべてを演じきるのは非常に困難を伴う。

この映画もダンス・ダブルは使われているが、かなり独創的なメイクをして主役を演じるという作品上の設定が、そのすり替えを可能にさせたメリットがある。



第二の困難は「鏡」だ。

バレエやダンスの練習風景を取り上げる場面では、鏡張りのスタジオが出てこざるをえない。どうやってカメラが鏡に映り込まないアングルで撮影するかは、昔からこの手の題材の作品の大きな課題だった。

CGという技術が開発されるまでは、撮影スタッフは非常にアングルに神経を使わなければならなかったが、高度なCG処理ができる時代になったいま、そうした「映り込みによるアングルの制限」がなくなって、ずいぶん自由なカメラワークが(もちろん、実際には現場で不自由しているわけだが)できるようになった。

「ああ、このへんの鏡もCG処理だ。これからはバレエやダンスやミュージカルの練習風景でも、いろいろ面白いアングルが出てくるだろうなあ」

と、そんなことを考えながら見ていたのだが、まさかそこに「伏線」があったとはねー(笑)。

「あの世界」では定番の演出なのに、なんでいままで、それをバレエのスタジオでやることを考えつかなかったのだろうか。

アイデア早い者勝ちの一等賞をとったわけですね。



そして途中からは、あれれれれれ、と「いい意味で」裏切られた。

この作品は、特定のジャンルで固定できる内容でもないし、ジャンルの決めつけによって「食わずぎらい」の客が出てはもったいない映画だと思う。

それからエンドロールの白と黒のみの美しさが出色だった。