2011年10月3日月曜日

2003年という分岐点


今回のブログタイトルで、なぜ「今いくよ・くるよ」の写真? と思われるだろうが、話は昨日のブログのつづきである。

2003年といえば、阪神タイガースが18万年ぶりの(笑)優勝を遂げた年として、関西ではそのように認識される。

しかし、この年はもうひとつ大きな出来事があった。カメラ付き携帯電話が急激に高性能化&低価格化し、爆発的に普及したのである。




とはいえ、機種変更していないユーザーは依然として、カメラなし携帯をごくあたりまえのように使っていた時代ではあったし、動画機能を搭載した機種は少数で、録画可能時間も短かった。

だからシャッター音や、著作権的な問題が起きることはなかった。そこで「なんば花月」でも、昨日のブログで紹介した「浅草大勝館」でも、撮影自由を掲げる「小屋」では、このように隠し撮りではなく、堂々と自由に撮影ができた。

そしてこんなふうに――




この日は花月の最前列に座っていたので、「アホの坂田」師匠から、カメラ目線のサービスショットをいただけたりもする。

ぼくは通常のデジカメで撮影していたけれど、カメラ付き携帯をかざす風景は、まだこのころは周囲の客席でもほとんど見かけなかった。だからシャキーンとか、ピロリ~ンという効果音が耳障りになることもなかった。



そして、お約束の吉本新喜劇のズッコケシーンも、




桂文珍師匠の高座も、こうやってお客は自由に撮影できたのである。





ちなみにぼくは、なんば花月に足を運ぶとき、文珍師匠が出演していることが、日にちを決める最優先の条件となる。

とにかくライブのつかみは抜群で、「腹がよじれるほど笑う」という形容を文字どおり体験できるのは、文珍師匠の高座をおいてほかにない。笑いでひきつって、息ができなくなるほど悶えたのは、一度や二度ではない。



30代のころ、ニッポン放送で「玉置宏の笑顔でこんにちは」という朝ワイドのディレクター陣のひとりだったぼくは、玉置さんが夏休みのときの臨時パーソナリティーとして、文珍師匠をお招きした日の担当になったことがある。

いまだったら、猛烈な文珍ファンとなったぼくは、お会いしたら伺いたい話がいっぱいあるが、当時は落語のことはなにも知らなくて、師匠の高座も一度も拝見したことがなかった。だから放送前の打ち合わせでも、とおりいっぺんの会話しかできなかった。ちょっと残念な思い出。



さて、話を元に戻す。

昨日の橘大五郎は2003年9月、このなんば花月は同年7月の公演で撮影したものだ。たぶん、携帯カメラに妨害されぬ古き良き時代は、このあたりが最後だった。



ある芸能人の方にうかがったが、記者会見などで一眼レフの放列に囲まれることには慣れていても、携帯カメラに囲まれるのは、格別ぶきみな雰囲気なんだそうである。

というのも、撮影者は携帯を持った手を、デジカメを構えるときよりはるかに前に突き出し、目の前に芸能人本人がいるのに、そちらを見るのではなく、携帯の液晶画面を見て笑ったりしている。

そうした奇妙な視線に集団で囲まれるわけだから、カメラ慣れしている芸能人であっても、どうしてもその状況は落ち着かず、好きになれないそうだ。



ともあれ、「のどかな芝居小屋」の時代には、もう二度と戻れないのだ。