2011年8月31日水曜日

東海テレビの検証番組を検証する

東海テレビが引き起こした「怪しいお米セシウムさん」事件の検証番組(約1時間)が放送され、同局のホームページから見ることができる。

結論。ダメ、これ。




同番組では、問題点を三つに分けていた。

①不適切なテロップはなぜ作られたか
②不適切なテロップはなぜ放送に流れてしまったか
③それになぜ23秒間も気がつかなかったか




②と③に関しては、役者?による再現ドラマも含めて、非常にわかりやすかった。でも、これはこの問題の本質ではまったくない。

②を引き起こしたのは、タイムキーパーの不注意による誤操作であり、③に関しては生放送中のVTR番組送出中の気の緩みである。

これらは今回の事件の本質とはまったく別の、不注意による放送事故の典型例にすぎない。



ぼくが生放送のワイド番組のディレクターをやっていたのはラジオであってテレビではないが、②(誤った素材の生放送送出事故)も③(それに長時間気づかなかったこと)も恥ずかしながら、自分でやってしまったことがある。

これは現場を踏んだ人間でないと実感としてわからないと思うが、生放送の中に挟み込まれた録音番組(テレビでは録画番組)は、スタジオや出演者にとっては息抜きタイムなのだ。気を緩めるなといっても、それはちょっと現実的ではない。



今回のケースは、通販番組のVTRが流れているとき、スタッフはVTR明けの演出リハをやっていて、「怪しいお米セシウムさん」のテロップが生放送の画面に出ていると気づくまでに10秒、それをはずすまでに13秒、計23秒かかっている。

しかも間の悪いことに、マスター(主調整室)でオンエアをモニターしているべき放送技術スタッフも、そのとき別の作業に気を取られてモニターから目を離していた。



だが、こう言ってはナンだが、放送関係者なら、これは日常起こりうる凡ミスだというのがよくわかっているはずだ。視聴者の怒りを買い、被災地の人々の猛烈な怒りを買い、スポンサーを呆れさせ、ついには番組が吹っ飛んでしまった要因は、ここにはない。

最大の問題は①なのだ。ところが、検証番組はここの追及がじつにおそまつだ。



その前に、ひとこというと、検証番組の後半では、全従業員にアンケートを採り、その結果寄せられた声として、制作体制の疲弊とかなんとか、人事面のことをいろいろ言ってるが、それは日常的な文句でしょう。この事故にかこつけて、日ごろ会社に不満があることを言ってるだけでしょう。

ぼくたちが知りたいのは東海テレビの社内体制の問題点ではないのだ。それがわかっていない。しかも事の本質は②と③の放送事故にあるのではない。

知りたいのは、なんであんなフザケた文言をCG制作者が書き、それをきちんと修正させなかったのか。これに尽きる。



ところが検証委員を委託された大学の先生は、じつに甘い。CG制作者(カメラに背を向けた後ろ姿で登場)に「何度もくり返して申し訳ないんですけど」と、遠慮しいしい、しかも笑いながら!問いかけている。なんども言葉に詰まりながらおずおずと。

こういう笑った場面を検証番組に出すセンスじたいが問題だし、この腰が引けた姿勢の大学の先生は、放送現場の感覚がまったくわかっておらず、また検証役として必要な心理学者的観察力もないし、たずねにくいことをたずねる勇気もない。



実際にこのやりとりをネットで見ていただければわかるが、短いやりとりの中でCG制作者のキャラクターは容易につかめる。

第一に、人の言うことをきちんと心に聞き留めないタイプの人間であること。右の耳から左の耳へと聞き流す傾向が強いこと。

それより重要な第二のポイントは、自分がとてつもないことをしでかしたという認識をまるで抱いていないところにある。会社がひっくり返るような不祥事を起こしたという罪の意識が、まったくないとは言わないが、きわめて軽いのだ。



そしてさらに大切なポイントは、そもそも「怪しいお米セシウムさん」という文言を、仮のテロップに書くというふざけた雰囲気が、本人だけでなく、番組スタッフにもなかったか、ということがまったく問われていない点である。

これに類した生放送中のスタッフの不謹慎なつぶやきが、原発事故会見中の生放送のニュース番組で洩れてしまった事件があったが、本質はそこなのだ。



「セシウムさん」テロップを見たTK(タイムキーパー)は、「いやな文章ですね」といって修正を求めたが、CG制作者は修正を求められたという認識はないという。だったら、そのときの具体的なやりとりこそ、再現ドラマで検証すべきではないか。

たとえば、こんなふうではなかったのか。

TK「ちょっとー、これやばくないですか? 怪しいお米セシウムさんって。でも、ちょーウケるけど」

CG「ウケるだろ。ははは」

TK「だけどプロデューサーに見せられないですよお」

CG「いいんだよ、少しは遊ばせろって」

TK「おねがいしますよおお」

CG「はいはいはいはい」

こんなやりとりがあったのではないか、ということを、外部の検証委員はツッコまなきゃだめだろう。TKへのインタビューのさいも。修正要求を言った言わないになったら、そこをあいまいにしては意味がない。



このCG制作者は50代だという。検証番組で見るかぎり、顔出しした番組プロデューサーもディレクターも若いし、ひょっとしたら局長でさえも、この制作者より若いのではないか。

そうした若いスタッフへの見くびりがなかったか? 放送現場の職人さんにはよくある傾向だ。そういう点を検証委員は知らないんでしょう。



番組リハ中に突然出た不謹慎テロップに、司会者は呆然としたという。実際、当日の映像を見ると、彼はことの重大さを認識していたのがよくわかる。それが普通の感性だ。

その感性が、CG制作者とTKおよび最初に同行していたアシスタントプロデューサーには欠如していた。

もしあれば、最初に下書きを見た段階で、ふざけんなてめー、になったはずだ。いや、CG制作者が若手だったらそうなっていただろう。それを相手が50代ということで、遠慮しなかったか。




年長者としてのおごり、人の言うことを聞き流す姿勢、不道徳を認識する思考回路の欠如、といったCG制作者個人の資質にかかわる部分と、番組スタッフに横溢していた被災地に対する「表の姿勢」と「裏の態度」――これがすべての原因であり、それを追及する勇気も、告白する勇気もない検証番組だった、というのがぼくの結論である。