2011年8月24日水曜日

ソーシャル・ネットワーク(2010)


いま(日本や中国を除き)世界を席巻しているソーシャル・ネットワーキング・サービスである「Facebook」設立のエピソードを実名で描いた話題の作品。

最初のアイデアを盗んだか、盗んでいないかで、訴訟となった当事者双方をそのまま描けるところが、やっぱりアメリカ文化だなと思う。

日本にも、こうしたスタイルの映画作りを受け入れる土壌があれば、いまごろとっくにフジサンケイグループVSホリエモンの実名映画ができあがっているだろう。

さて、映画のことである。





この映画を受け入れられるか否かは、冒頭の5分間にかかっている。写真のシーンである。

右が、ジェシー・アイゼンバーグ演じるFacebookの創業者マーク・ザッカーバーグのハーバード大学時代で、左が彼に愛想を尽かしてしまう恋人。場所はハーバード大学構内のバー。

ただし、ザッカーバーグ本人は、実際の恋人とはFacebook設立前から現在に至るまでずっとつきあっているといってるが。



映画の冒頭から、恋人どうしがケンカ別れに至るテーブルでのやりとりを延々五分も見せられることになる我々日本人は、 ここでいきなりワケワカラン状態になるはずだ。

まず第一に、この場面の会話でたびたび出てくるFinal Clubがなんであるのかを理解できない。

「ファイナル・クラブ」っていうから、きっと学生の部活なんだろう、などと想像してしまうと、なぜ会話にセオドア・ルーズベルトが出てくるのかもわからなくなる。



第二に、字幕の宿命である字数制限によって、ただでさえ基本的な背景が日本人になじみにくい状況での会話が、なおさら、めちゃくちゃわからなくなってしまうのである。

この映画は、吹き替え版で見た人のほうが、字幕版で見た人より数倍、わかりやすかったはずである。

本作品にかぎっては、吹き替え版をおすすめする。ジェシー・アイゼンバーグ役の声には、ぼくは抵抗があったけど、見ていくうちに、この声優の声で正解だったと思えてくる。



だが、それでも冒頭の会話があまりに理解不能だったので、ぼくは映画を見終わってから、オフィシャルサイトから脚本をダウンロードしてそれを読み、ハーバード大学のことを調べ、「Final Club」のことを調べ、「60minnutes」におけるザッカーバーグ本人のインタビューなどをyoutubeで見て、やっとのことで、この映画に含まれている、いろんな背景がわかってきた。

これを予備知識なしで、デートとかで見ても、たぶんカレシのほうは、「さすがデヴィッド・フィンチャー(監督)はスタイリッシュでクールだよな」ぐらいしか言えないだろう。

もしもあなたのカレシが、この映画についてそういう感想を述べたら、ほとんど肝心なところはわかってないと思ったほうがいい(笑)。



脚本には、マーク(ザッカーバーグ)は人の目を見て話すことが苦手で、ときとして、相手に話しかけているのか、ひとりごとを言っているのか区別がつかないときがある、という注釈が入っている。

だから恋人とのやりとりもチグハグである。そのチグハグな会話を、内容省略大会の字幕で延々五分も見せられるのだから、たまったものではない。

しかもハーバード大学のFinal Clubのことがわからないと(……というか、わからないほうがアタリマエだ)、すいません、映画が終わるまで寝させてもらいます状態になりかねない。

で、見終わってから「すげえよ、この映画は」と、とりあえず叫ぶしかなくなる。



映画を見たのち、脚本を読んではじめて気づいたのだが――遅いか――「The Social Network」というタイトルは二重の意味を含んでいる。

ひとつはFacebookやミクシィなどのソーシャル・ネットワーキング・サービスのこと。そしてもうひとつの意味は、学生内特権階級における社交ネットワークのことだ。



Final Club(s)は、ハーバード大学にある学生社交クラブの中でも、とくに特権階級の男子学生のみに入会が許される「ハイソな社交クラブ」であり、現在は8つある。いずれも百年以上の歴史がある。

日本だと「おー、おまえも東大か。おれも東大なんだ」と、大学がいっしょというだけで同胞意識を持つのが通例だが、まず欧米ではそういう感覚はない。そしてハーバードでも他の有名大学でも、この超エリートおぼっちゃま限定社交クラブに所属している仲間どうしの結束と排他性は格別なのである。

8つあるFinal Clubsの中でも、のちに大統領となるセオドア・ルーズベルトも入っていたThe Porcellian (the Porc) が、最も由緒があり、入会審査も最も厳しい。冒頭場面でもマークが、恋人にこういうセリフを言っている。

"The Porcellian, the Porc, it's the best of the best."



だが、マークは、自分には入会資格などないとわかっている。なにしろ、初期のフェイスブックを立ち上げるための会社設立経費1000ドルも出せずに、友人のエドゥアルドに都合してもらうほどだ。

このエドゥアルドは裕福なユダヤ系ブラジル人で、Final Clubの中ではもっとも入りやすいとされるPhoenix-SK の資格審査に一次、二次と合格していく。マークは、それがおもしろくない。これがのちの亀裂の伏線になる。



ハーバードには女子学生にもこうした社交クラブがあり、そうした男女のクラブメンバーにとって「デジタル学生名鑑」があれば、非常に便利なはずである。そこに目をつけたのが、のちに北京オリンピックのボート競技かじなしペアで6位に入賞する一卵性双生児のウインクルボス兄弟である(映画ではCG合成でアーミー・ハマーひとりが演じている)。

ウインクルボス兄弟は、まさしく裕福な家庭に育ち、マークが「ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト」と語ったFinal Clubの最高峰、the Porcに入っている。ここがポイントである。

兄弟は、ハーバード大学の「リアル空間としての」ソーシャル・ネットワークに、デジタル空間でのソーシャル・ネットワークを導入しようと思いついた。そこで、優秀なハッカーでありプログラマーでもあるマーク・ザッカーバーグに声をかけた。



ところが貧乏学生で、ルームメイトのFinal Club入りにも嫉妬しているマークは、ウインクルボス兄弟に協力するといっておきながら、なにかと言い訳をつけて会わなくなり、その間に、自分でFacebookを立ち上げてしまうのだ。つまり、アイデアをパクッたわけである。

このへんは、ビル・ゲイツの「リンゴ丸かじり」(アップルぱくり)大会と共通するものがある。

だからかな? この映画にはビル・ゲイツのそっくりさん(Steve Sires) がハーバードで講演するシーンが出てくる。

さらにFacebookが巨大な成功を収めつつある過程で、前述の恩人エドゥアルドもマークから強烈な裏切りを受けてしまう(現在は和解)。


しかし、パクリと言われようが、裏切り者と批判されようが、Final Clubに入れなかったマーク・ザッカーバーグはFacebookの大成功で、資産40億ドルともいわれる世界最年少の億万長者となり、逆に、Final Club最高ランクのクラブに入っていたおぼっちゃまのウインクルボス兄弟は、アイデアをぱくられた訴訟を起こす側になった。

最終的に彼らは6500万ドルの和解に応じたが、彼らのアイデアだけであれば、Facebookはいまだに大学生専用のSNSだったかもしれない。



つまりFacebookとは、特権階級の男女学生の(リアル空間での)ソーシャル・ネットワークの便宜を図るためにスタートしたアイデアが、貧富の差に関係なく、全世界で五億人を超すユーザーを抱える(バーチャル空間での)ソーシャル・ネットワークに大変身を遂げたものなのだ。

それはやはりノン・エリートであるマーク・ザッカーバーグだからこそ、なしえた成功だといえるだろう。

しかし、もともとクローズド社会のためのシステムというところからスタートしているから、プライバシー・ポリシーに関しては、相当にゆるい、というか、あまり真剣には考えてないみたいだ。

5億人超のユーザーの個人情報を握っている責任というものを、まだ20代後半の億万長者CEOは理解していないようにも思える。

この問題を公開の場でつっこまれて、大汗をかいてしまうマーク本人の映像はyoutubeで見ることができる。



まあ、そういうわけで、映画を見て、わからなかった部分を研究することも、なかなか有意義なのであった。