2011年7月21日木曜日

奥様はプロレスラー

ちょっといいタイトルかもしれない(笑)。「奥様はプロレスラー」。

魁皇関が引退した。

魁皇夫人が元・女子プロレスラーの西脇充子で、クラッシュギャルズのいた全日本女子プロレスに所属していたとの経歴を見て、必死に記憶をたどった。




ホームページでも以前に書いたことがあったと思うけれど、ぼくは扶桑社にいた時代、クラッシュギャルズを中心とした全盛期の全女を追っかけて「まいったかコノヤローッ!!」シリーズをムックサイズで4冊出した。

ぼくはそのシリーズの出版プロデューサー兼ライター兼リングサイド・カメラマン兼写植切り貼り屋――ようするに、なんでも屋であったから、当時は前座クラスであった西脇充子の試合もリングサイトから自分で撮影しているはずなのだ。

だが、なかなか記憶が甦ってこない。



彼女が堀田祐美子とファイヤー・ジェッツを結成した1988年には、ぼくはタレント本編集部と、スタート期の扶桑社ミステリーをはじめとする海外翻訳物の編集部の両編集長を兼ねていたから、マメに女子プロレスを見に行くこともなくなっていたし、彼女たちの本も、もう出さなくなっていたので、西脇充子としての全盛期は知らない。

でも、写真は撮っているかもしれない。こんど保管倉庫に行ったときに、時間があったら過去の資料をひっくり返してみようと思う。



しかし、魁皇の奥さんになっていたとはなあ……。

松永家の同族経営で最終的には悲劇的な破綻をきたしてしまった全日本女子プロレスだが、全盛期のちょっと前からタッチさせてもらったおかげで、手作りの女子プロレス時代を見ることができた。

地方興行では会長の松永さん自らがテントを張った仮設の売店で焼きそばを作って売ってたし、前座の小人プロレスも会場を大爆笑に包んで盛り上がっていた。



それが女子プロレスに脚光が浴びるのと同時に、「差別だ」というバカげたことを言う連中によって、小人レスラー(いまはミゼット・レスラーと言い換えている)は、活躍の場を失われていった。

本人たちがプロの芸人意識に徹してがんばっているのに、健常者が大きなお世話で「差別だ」とよけいなちょっかいを出して、彼らの職場を奪っていった。

ちょうどその最後の端境期(はざかいき)を、ぼくは見てきた。

差別の糾弾なんて、ほんとに偽善だと思ったものだ。



まあともかく、西脇充子はクラッシュギャルズ解散後の下り坂に、その下降線を止めるべく「何匹目かのドジョウ」を狙ってコンビを組まされたわけだが、起爆剤にはならなかった。

魁皇夫人となったのは賢明な選択肢だったろう。そして、近い将来は部屋のおかみさんになるわけだ。

自分が格闘技の下積みをやってきているから、きっといいおかみさんになるに違いない。