2011年7月9日土曜日

フロリダの青い空

いまから30年前の1981年4月、ぼくはアンコーさんこと斎藤安弘さんと、ニューヨークのホテルで、初めてのシャトル打ち上げを固唾を呑んで見守っていた。

アンコーさんは、オールナイトニッポン草創期にDJ「カメ&アンコー」として絶大な人気を誇った。おおげさではなく、国民的アイドルだった。ちなみにカメ&アンコーのカメは、のちに社長となった亀淵昭信さんである。

ぼくとアンコーさんは、当時のニッポン放送が年に二人選んで行なっていた海外研修プログラムに選ばれて、アメリカ大陸横断の旅に出ていた。




「初めてのシャトル打ち上げ中継をアメリカで見られるなんて、ラッキーですね」と話しながらテレビでカウントダウンを見ていたら、忘れもしない「Tマイナス17」で、いきなり秒読みが止まってしまった。17秒前の中止である。

こういう土壇場の中止がよくある話だというのは、のちに何十回も打ち上げを重ねてから知ることで、第1回の打ち上げがそうなったので、ぼくたちは、いったいどうなったんだろうとテレビを食い入るように見つめた。

けっきょくその原因はわからなかった。



NASAが分析できなかったからではない。ぼくたちが英語がわからなかったらである(笑)。

ともかく延期されたことはわかった。そして再打ち上げ日になった4月12日に、ぼくたちは、まったくの偶然だけれど、フロリダ州マイアミにいることになっていたのだ。

これは行くしかないでしょう、ということで、ぼくとアンコーさんはマイアミに着いてすぐレンタカーを借りた。たしか、アメリカ旅行中は車を運転してはいけないということを会社から言われていたような気がしたが、ぼくもアンコーさんも車の運転は大好きなので、なんらためらうことなく空港のレンタカーオフィスに行った。

ぼくの記憶では真っ赤な車だった。アンコーさんがとにかく外車マニアだったので、ラリー専門のこちらは大先輩のチョイスにまかせた。



ふたりで運転を交代しながら、ケープ・ケネディへ向かった。どこで見ればいいかなんて情報はまったく持っていなかったけれど、現地に近づくにつれて、どの車も同じ方向へ向かうので、その流れにまかせた。

着いたのは、打ち上げ基地とは入り江を挟んだ反対側だった。フロリダの真っ青な空と輝く太陽のもと、地面にシートを敷いて寝そべったり、車のボンネットに乗ったりと、みんな思い思いの格好でそのときを待っていた。

みんなラジオを持っていた。もちろん携帯電話なんてない時代だ。携帯テレビもない。ラジオ中継だけが唯一の情報源だった。



すると、入り江の向こうで光が輝き、もうもうと煙が上がるのが見えた。シャトルが浮かび上がった。つぎの瞬間、足下の大地が轟音を立てて震えた。

そんな振動がくるとは予想もしていなかったから、びっくりした。

シャトルが、まさに地球を蹴立てて宇宙へ飛び立っていったという実感だった。そうなのだ。シャトルは大地を蹴って飛んでいくのだ。

大歓声と拍手が上がった。メイド・イン・USAの歓声は、それはすごいものだった。



あれから30年、つい先ほど、最後のシャトル「アトランティス」が打ち上げられた。

最初のシャトル打ち上げを目の前で見たときは、その先の30年のうち、21年は作家として過ごしているなど、夢にも思わなかった。