2011年6月18日土曜日

教養課程

まもなくフランス語は、大学の教養課程で第二外国語としてフランス語をとった場合の、2年分の学習要項をすべて学び終えることになる。独学で。

いまは最後の山といわれる「接続法」を学んでいるところで、それが終われば、あとは「ジェロンディフ」と「単純過去/前過去」だけということになる。

それにしてもフランス語には過去形だけで「複合過去」「半過去」「大過去」「単純過去」「前過去」と、これだけあるんだから(後者のふたつは書き言葉専用の過去形だが)、いかに英語はシンプルにできているかだ。

ともかく、今月中には終わるだろう。






「第二外国語としてフランス語をとった場合の」という書き方をしたが、じつは、ぼくは大学のとき第二外国語はフランス語だった。

しかし、『その日本語が毒になる』や『脳に効くことわざ』や『続・脳に効くことわざ』などで書いたように、ぼくは父親の独裁命令で、行きたくもない国立大学しか受けさせてもらえず、それで浪人をするのはバカらしいので、締切に追い立てられた作家のように(笑)、寝る間も惜しんで猛然と勉強した結果、とりあえず入っただけだったから、4年間、ほとんど授業に出なかった。

おかげで一年留年することになったのだが、そんなわけで、せっかくとったフランス語も最初の数時間で出なくなった。もちろん、単位はとれなかった。




だが、考えてみたらものすごく惜しいことをしたのだ。

当時、一橋大学にフランス語を教えにきていたのはルネ・ラガシュ先生という、四、五十代の女性で、NHKフランス語の講師もしておられた。

ぼくはフランス語はNHKのラジオ講座を中一のときから聴いていたので、ラガシュ先生の講義をナマで受けられるなんて、すごく感激した(はずだった)。

しかし、いかんせん、親が決めた大学なんて、おもしろくもなんともねー状態だったため、ラリーが盛んだった一橋大学自動車部で、いかに未舗装の山岳悪路を速く走れるかということにしか興味を抱かず、徹夜で奥多摩や秩父方面の山道を走っては、残りの時間を麻雀にうつつをぬかして負けまくるという、なんとも青春をムダにしまくりのだ学生だったため、これ以上ないフランス語学習環境を逸してしまった。

ほんとにほんとに、もったいないことである。




というか、話は脱線してしまうが、どんな大学であっても、自分が行きたいと思って選んだ大学に行っていれば、ぼくはものすごく勉強したはずで、この知性のない無気力アホ状態を、延々と社会人になってからも引きずることはなかったはずなのだ。

いまだにその遅れは取り返せていない。

だからぼくは、自分の娘の大学進学に関しては、完全に本人まかせで、ひと言も口を出さなかった。それが自分なりの「人生のリカバリー」だった。

子どもの人生は、親の人生ではないのだ。親が応援してやることはあっても、無理強いするのは絶対によくない。




話は戻る。

前に書いたように、ぼくはいま40カ国語に手を出すという無謀なことをやっているが、これも「バカでアホで無気力で幼稚きわまりなかった」大学時代の失われた5年間を取り戻す一環なのである。

そのうちの12カ国語に関しては、「旅の○○語会話」なんてレベルじゃなくて、ものすごくしっかり勉強する予定を立てた。

で、まずはフランス語が、一定のところまで進んだわけだ。

おそらくこれに一カ月ほど遅れて、ドイツ語が7月~8月ごろには大学教養課程レベルの終了に到達するはずである。




失った青春をいつまでも悔いているよりは、いまからでも取り返しに出たほうがいいだろう、というわけなのだ。