2011年6月21日火曜日

少しはホッとしました

むりやり超鈍感モードで運転中のぼくだけど、けさの朝日新聞のコラムを読んで、少しはホッとした。

なにしろ、よりによって朝日がやってくれたので、溜飲が下がった。

曽我豪編集委員のコラムは「もはや限界を超えた」というひと言からはじまり、菅直人メッタ斬り。

その中段のところを引用させていただきます。(※一行空きで読みやすくしたのは当方の処理です)



《この国の首相がもっと謙虚で、冷静に丁寧に正確に手順を踏んで与野党の合意形成を育てていれば、幾多の課題処理が進んだ別の幸せな日本になっていたはずだ。

それを全面協力か、さもなければ「歴史に対する反逆行為」かといった対立図式でしか政治を動かそうとせず、結果、合意の芽を摘んだのが菅首相である。

今また会期延長で同じ手口を使い、その先に「脱原発解散」まで想定しようというのだろうか。》




ぼくは17日のブログ「鈍感力」で


《しかし、それでもぼくは反原発・脱原発のデモをみていると、大きな懸念を抱かずにはいられない。それは原発がなくなったら電力不足になるといったレベルの話ではない。

それは「反原発・脱原発」をテコにして、社会主義的思想を持った、現時点では少数の支持しか得られていない政党が、またキャスティングボートを握り、それに与党や野党の一部が迎合し、日本が空理空論に満ちた社会主義的幻想を追い求めるバカ国家になっていくことである》



と書いたけれど、ぼくの視点とはやや違うものの、朝日新聞が菅や亀井や福島瑞穂が企む「脱原発解散」の愚かさを指摘してくれたことで、まだまだ日本は捨てたもんじゃないと思った。

浜岡原発停止は、菅のたんなる保身のためだけなんだから、北陸方面の各県知事が「自分たちの地域にある原発と浜岡との違いを明確に述べよ」と言ったって、菅に説明できるわけがないのだ。いっそのこと、海江田さんがホンネをぶちまけてしまえばいいのにと思う。

こんなミエミエの「いやらしいジコチュー原発停止」を「大英断」と持ち上げた瑞穂には、「ナンボ人のいい私でも」(元阪神・川藤の名セリフをパクらせてもらいました)怒りに震えたものだが、脱原発にもやり方があろう、という朝日のまっとうな論調に、とりあえずは安堵した。



曽我編集委員はこうも書いている。

《脱原発を同じ運命に陥らせてはならない。今最も肝要なのは、電力不足はじめ多くの負担や不便を強いられる国民からいかに信を取り付け続けるか、その地道で真面目な政治の作法である。それは菅政治とは逆の道だ》



それにしても、カダフィ大佐とカーン大佐は、どっちが先に辞めさせられるのだろうか。

どっちが先に「辞めるのか」ではなく、どっちが先に「辞めさせられるのか」という視点での賭けは、50:50で非常に予測が難しい。



なので、また超鈍感モードに戻ろうと思うのであった。