2011年6月10日金曜日

エスター(2009)

映画には、先にやったもの勝ち、という「アイデア一発勝負」と呼ばれる種類の作品がある。

ホラーでは「シックスセンス」と「アザーズ」。この二作を並べることに異論はあると思うが、それについは、このあとで述べる。

あるいはジャンルをなにに分類したらよいかわからないが、あえていうならバイオレンス系だろうか、「ファイト・クラブ」。

そしてミステリーサスペンス系では「ユージュアル・サスペクツ」といったところがすぐ思い浮かぶ。

で、もうひとつが、この「エスター」である。



【注】
もちろん、この手の映画を観るときは結末がわかっていては面白くない。したがって、ここから先は、これらの映画をすでに観た方、もしくは観ていないけれど、今後も観るつもりはない、という方のみ「もっと読む」をクリックしてください。

それからテレビシリーズの「LOST」にもふれていますので、ファイナルシーズンの最終回まで到達していない方は、この先は絶対に読んではいけません。


携帯版でごらんの方は、この下、大きなスペースを空けておきますので、どんなオチか、これからDVDを借りてみようと思われる方は、空白から先へ決してスクロールしないでください。


もちろんマナーとして、露骨なネタバレは書きませんが、おおよその推測はついてしまうので、鑑賞前には絶対に読まないことをおすすめします。

ともかくいえることは、上に挙げた映画作品は、いずれも観て損はありません。

じゃ、観ようか、と思われた方は、くどいようですが、この先を読んではいけません。















(ほんとに、この先読んでいいんですね? 自己責任でおねがいします)



















まず、一発オチを製作する側として、「アイデア先行競争」の難しさを露呈したのがM・ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィリス主演の「シックス・センス」と、スペイン人のアレハンドロ・アメナーバル監督、ニコール・キッドマン主演の「アザーズ」だ。

この二作は、同系統のオチである。そして「シックス・センス」は1999年公開で、「アザーズ」は2001年公開。そのため、「アザーズ」は二番煎じという猛烈な批判を浴びることになった。

しかし、実際にアメナーバル監督(アメナバール、ではない)が「アザーズ」の着想を得たのは、ペネロペ・クルス主演の「アブレ・ロス・オホス」(英題「オープン・ユア・アイズ」を撮影中のことだったという。

「アブレ・ロス・オホス」の地元スペインでの公開は1997年12月だから、「アザーズ」の着想を得たのも同年か、その少し前であろうと推測できる。

ということは1999年公開の「シックス・センス」と、アイデア段階では似たり寄ったりの時期だかもしれない。



「アブレ・ロス・オホス」は映画プロデューサーとしてのトム・クルーズの目にとまり、彼および、オリジナルと同じペネロペ・クルスの共演で、2001年にキャメロン・クロウ監督により「バニラ・スカイ」としてハリウッド・リメイクされた。

当時のトム・クルーズは、約10年にわたってニコール・キッドマンと夫婦だったから、アメナーバル監督が「アザーズ」のアイデアを持ち出したとき、トムにエグゼクティブ・プロデューサーとしての参加を求めるのと同時に、妻のニコール・キッドマンを主役にしたいと持ちかけたのは自然な流れだった。



しかし当のニコール・キッドマンは、のちに「アザーズ」と同じ年に公開されることになる「ムーラン・ルージュ」に力を入れており、アメナーバル監督に、別の女優をあたってほしいと説得したエピソードも残っている。「アザーズ」には、いやいや出演したようだ。

そこにはトム・クルーズとの結婚生活が、破綻に向かって進んでいたこともあっただろう。事実、「アザーズ」はトムとニコール最後の共同プロジェクトとなった。

なお、ニコール・キッドマンは「ムーラン・ルージュ」により、「アイリス」のジュディ・デンチと同じ年のアカデミー主演女優賞にノミネートされている。




そんないきさつを経て「アザーズ」が公開されたのは「バニラ・スカイ」や「ムーラン・ルージュ」と同じ2001年になってしまった。

そのときすでに「シックス・センス」に二年の遅れをとっていた。そして、あまりにも「シックス・センス」が高い評価を得たので、「アザーズ」は二番煎じの汚名を着せられてしまったのだ。

しかし、アイデアの先行競争のみならず、主演女優が乗り気でなかったというのは「アザーズ」に、思ったよりエネルギーを与えなかった一因になっただろう。



さて、このオチである。

「シックス・センス」のM・ナイト・シャマラン監督は、このラストには先行作があることを認めている。それがなんという映画を指すのか、ぼくは知らないが、ぼく自身が見たことのある「シックス・センス」と同ネタの先行作がひとつある。

「ゾンゲリア」(1981)だ。



1977年に公開された「サスペリア」が大ヒットしたせいで、70年代末から80年代初頭のホラー映画の邦題には、それにあやかって「~リア」と名付けられたB級作品が少なくない。これもそのひとつで、原題は「Dead & Buried」。B級どころかC級ホラー映画である。

海岸に面した小さな町で、ゾンビの集団による殺人事件が起きる。この捜査を担当する保安官は、町の葬儀屋が、じつは死人を甦らせていることを知る。そして愛する妻までがじつはゾンビだった。愕然とする保安官。しかし、さらにラストは驚愕の……とまで書けば、おおよその見当はつくであろう。

これが「シックス・センス」オチの元祖だったら、あまりにも悲しすぎる。それぐらいお粗末な映画だった、「ゾンゲリア」は。



しかし、これを観れば「シックス・センス」のミスリードの優秀さが、いかに際立っているかもわかることになる。

「シックス・センス」は、たんにオチが意外だというだけではない。

そのオチをカムフラージュするミスリード「死者が見える少年」の存在が、「ほ~ら、ちゃんと伏線を張っといたじゃないですか」といえる、いわばエラリー・クイーンのような本格ミステリー的公平さを備えており、そこが秀逸なのだ。

その一点において、「ゾンゲリア」は言うに及ばず、「アザーズ」も勝てないところだと思う。

だから「シックス・センス」をこの種のオチの元祖と呼んで、なんら問題はない。



ちなみに、足かけ7年がかりで全世界の視聴者を謎解きの渦に巻き込んだ、あの超有名な米国テレビシリーズの結末にも、このネタが使われていることがファイナルシーズンの最終回から数回前で明らかにされたときは、正直いって、7年待ってそれですか、とコケたのは否めない(笑)。

おねがいだから、それはオチのミスリードで、あくまで真相は別だったことにして、と祈ったが、最終回でその祈りはむなしくも完全に否定された。



さて、さて、さて。

ほんとうに前置きが長くなった。表題の「エスター」である。

娘から「とにかくおもしろいから観て!」のメールが入り、妻といっしょに見た。



出だしはこうだ。ある夫婦に息子と娘がひとりずついた。しかし3人目を流産したことや、娘をあわや死なせてしまいそうになったトラウマなどに苦しみ、その打開策として、新たに孤児院から養子を迎えることになった。

それがエスターという名の女の子。

そのエスターが、じつは恐ろしい子どもで、数々の邪悪な罠を仕掛けていく。

あまりにもよくあるパターンで、これがいったいどういうふうに盛り上がっていくんだろうと、観ながら妻と「懐疑的」な感じで話していた。

しかし、うちの娘も両親に負けないぐらい映画をよく観ているので、おそらくホラー映画として出尽くしている展開ではないのだろうとは思い、ともかく先へ進んだ。

そして――



いや~、こうきましたか!

いわれてみれば、いろいろ伏線張ってあったよな、と、気づく。

しかも、そのオチが怖かった。

「シックス・センス」は、やられたと思ったけど、怖くはなかった。

「エスター」は、そのオチが怖かった。ゾクゾクきた。ホラーの一発オチとしては、こっちのほうが、ぼくは評価できる。



しかし、作家としての視点でいうならば、難しいのはミスリードのさじかげんだ。

「エスター」は、たとえば「オーメン」、たとえば「エクソシスト」といった古典的な「邪悪な子」モノとして話が展開していくので、マニアには「そんなの、もうみたみた、何度もみたよ」になる。

前半から中盤にかけて、もう一山あったらなあ、これはかなりの傑作になったと思う。

でも、オチのインパクトは、「シックス・センス」よりも上だった。



ひょっとしたらC級ホラー映画クラスに同ネタの先行作があるかもしれない。よくぞ、いままで誰もこのオチをやらなかったな、と思ったけど、人の考えることにはかぎりがある。前例ありの可能性は否定できない。

だが、少なくともぼくにとっても妻にとっても、まったくはじめて遭遇したオチだったので、それはもう驚きました(笑)。