2011年5月15日日曜日

葵祭、なんとかせな~

京の三大祭とは、5月の葵祭、7月の祇園祭、10月の時代祭。

祇園祭はほぼ毎年見に行っている。これに参加しないことには、京都の夏はこない、という感じ。

しかし葵祭はだいぶ前に一度見て、「もういいか~」という感じだった。でも、ことしは前日から快晴が予報されていたこともあって出かけた。

しかし、なんも変わってなかった~。そのだらけようが。

ピシッと引き締まっていたのは先導するごらんの京都府警・女性騎馬警官のみ。彼女たちはカッコよかった。だから、その後の盛り上がりが期待されたのだが……。

もしもこのブログが関係者の目にとまることがあるなら、少しだけでもいいから、以下に述べるぼくの意見に耳を傾けてもらえないだろうか。



葵祭は日本最古の祭とされている。いまでこそ「京の三大祭」に入っているが、その起源は飛鳥時代にまでさかのぼる。つまり平安遷都よりもずっと前からつづく五穀豊穣祈願の神事なのだ。

それはわかるけど、祭の関係者が忘れていることがある。それは、もはや葵祭は日本全国から観光客を集めるショーの側面が無視できない、という点だ。

ぼくみたいに1時間前まで家にいて、コーヒー代にも満たない電車賃で、ぴゅーっと行列見物に駆けつけられる者はいい。しかし、はるばる遠くから高い交通費と宿泊費をかけてこれを見にきている人たちも大勢いる。ツアー料金だって、けっこうする。

沿道に詰めかけたその観光客たちを、あまりにも拍子抜け、落胆させている事実に、そろそろ気がついてもいいんじゃないだろうか。おそらく「葵祭をまた見にこよう」というリピーターは、ほとんど生まれないのでは? あるいは「家族や友だちにも絶対見せてあげたい」と思う人も…。

それは観光都市・京都としても決してトクではない状況だと思う。



これはぼく個人の感想にとどまらず、沿道の人々からもさまざまな「消化不良」のコメントが連発していた。行列が終わってゾロゾロと駅に向かう人たちの表情も冴えない。祇園祭の山鉾巡行見物のような「ええもん、みせてもろたわ~」といった盛り上がりの雰囲気はまったくない。

とりあえずデジカメとかケータイを突き出して写真は撮ってみたものの、なんだったんでしょうねー、という感じで。その後、昼食に入った店でも、ボヤいている人たちがいた。前回、葵祭に行った帰りに乗ったタクシー運転手さんも、「あれはいっぺん見たら、もうええですわ」と言ってた。



きょうは葵祭にふれたブログなのに、行列本体の写真をUPしなかったのは理由がある。とにかく古代の衣裳をまとった行列の人々の表情が死んでいるのだ。

ただ、ポヤーッとしていたり、きょうのように日差しが強烈なときは、まぶしげに顔をしかめていたり、大きな傘を持つ者が何度もヨロヨロよろけたり、行列が停まったときに白衣のたもとからデジカメを取り出して、仲間たちの姿を撮ったり。

本来なら華やかな存在であるべき女官たち――騎女(むなのりおんな)や命婦(みょうぶ)や女別当(おんなべっとう)に扮した女性たちも、表情が死んでしまっては、ただの白塗りソラマメの集団である。

全員がそうではないけれど、多くの行列従者たちは、「自分たちは一大観光行事の主役として見られているのだ」という「演じる者の意識」に欠けている。「路頭の儀」という神事に参加しているという厳かな意識も、歩いているうちに忘れてしまうのか、目ぢからがない。



いっしょに見ていた妻と話したのだが、いっそのこと東映の京都太秦撮影所に協力を依頼して、大部屋俳優さんたちを行列のエキストラとして大挙動員したらどうか。

やっぱり役者のプロは「その他大勢」という役どころでも、表情の作り方をわきまえている。彼らの参加によって、行列ぜんたいが引き締まって、見られるに堪えるレベルになるのは間違いない。

それから俳優さんだけでなく、馬も時代劇が得意な東映のつてで大挙動員したい。馬の一大パレードのようなものが目玉としてあると、これも葵祭の見どころになるはずだ。



それから「解説」の要と「音」の演出。

コンチキチンと華やかな祇園囃子で彩られる祇園祭と違って、葵祭には「音」の演出がない。だから、そもそもが地味な行列である。

時代祭と比較しても、時代祭では明治維新から江戸→安土桃山→室町→吉野→鎌倉→平安と、時代をさかのぼりながら、それぞれの衣裳を楽しむ趣向があるし、歴史上の有名人も登場する。

一方、葵祭は衣裳にきわだった変化がないうえに、登場する行列の人々が、どういう官職にあるのかは、沿道の見物客にはまったくわからない。

このへんはもっと見る人に親切な解説方法を考えてほしい。

とくに、祇園祭の長刀鉾稚児(なぎなたぼこ・ちご)に相当する、葵祭のヒロイン斎王代(さいおうだい)と、行列の中で最も位が高い近衛使代(このえづかいだい)は、もっともっと華やかにアピールする演出が望まれるところだ。

そして雅楽を吹奏する一団がいるとか、そういった音での盛り上げも考えていいのでは。



あともうひとつ。ただでさえ、たんに黙々と進む行列が、ところところで大きく間があいてしまうのは、おそらく出発時の神事の段取りによるものかもしれないが、見物人はほんとうにだらけてしまう。近衛使代列と斎王代列のあいだだけでなく、ほかにも無意味に行列の長い空白があった。

祭のプロデューサーに相当する人がいるなら、一般客オフリミットの「社頭の儀」などの雰囲気だけで満足するのではなく、一度は沿道の見物客にまじって、「庶民感覚で」この祭がほんとうに観光客が遠路はるばる見にくるだけの価値があるかどうか、見直しを検討していただいたほうがいいと思う。