2011年5月12日木曜日

リンゴものがたり

『「初恋の湯」殺人事件』のノベルス版の発売は2005年だが、その執筆にあたってリンゴの世界をあれこれ調べだしたときに、はじめて気づいたことがあった。

それは、かつて「リンゴの王様」と呼ばれた品種が、実質的にこの世から姿を消してしまったという事実だ。

ちょっと話が飛ぶけれど、1964年(昭和39年)に公開されたある日本映画をDVDで見た。作品そのものを語り出したら長くなるので、それはまた機会があったら。



で、その中に出てきた非常にさりげないワンカットが印象に残った。公開当時ならともかく、現代なら100人が見ても、私以外の99人は、そんな場面があったことなと記憶にも残さないほどさりげないシーンだ。

その場面に出てきたのが、バナナ。



母ひとり子ひとりで育ってきた主人公の青年(大学生)が外出先から帰ってきて、おなかがすいたと、冷蔵庫を開ける。そして、取り出したのがバナナ。

これが、ふつうの人は見てすぐ忘れるであろうシーン。

21世紀の日本映画において、大学生の男の子が冷蔵庫を開けてバナナを取り出すなんてシーンを書く脚本家はまずいないだろう。しかし、この時代(1964年)=つまり東京オリンピックが開催され、それに合わせて開会式の9日前に東海道新幹線が開業した、その当時のバナナは果物の王様だった。

というのも、その前年の1963年にバナナの輸入自由化が行なわれたからだ。

おかげで、それまでは高くて庶民には手が届かなかった(逆に言えば、進物用やお見舞い用にはよく使われていた)超高級果物バナナの値が一気に下がり、爆発的なブームになった。それが東京オリンピックごろのこと。

ちなみに輸入自由化前、台湾からのみ輸入をしていた1950年ごろのバナナ1キロあたりの卸値は、サラリーマンの平均月収の1割にも及んだ。完熟マンゴー「太陽のタマゴ」よりも、相対価格は高かったのだ。

「マンゴー」と「タマゴ」の字面から思い出したが、映画「マタンゴ」の公開が、バナナ自由化の年、1963年だ。



そういう時代背景があるからこそ、バナナ輸入自由化直後の映画において、いい年をした大学生が冷蔵庫を開けて、そこから取り出したバナナの房から一本ちぎってうまそうに食べるシーンが作品として意味を持つわけだ。

だから、当時の観客にとっては、この場面のバナナはあんがい記憶に残ったかもしれない。

そしてバナナの人気沸騰と入れ替わる形で、あっというまに庶民から見放されてしまった果物がある。それが『「初恋の湯」殺人事件』で重要な役割を果たすリンゴである。



バナナ輸入自由化前のリンゴの東西横綱は「国光」と「紅玉」だった。

そのころ、リンゴといえば「国光」か「紅玉」、ナシといえば「二十世紀」か「長十郎」というふうに、ふたつのチョイスしか店頭での選択幅はなかった。

ところがバナナの値下がりによって、果物の世界では「政権交代」が起こり、リンゴは大げさでなく、存続の危機に立たされた。昭和40年代初頭、ミカンが大増産体制に入ったことも大きかった。

当時、鉄道列車で長旅に出るときは、駅弁とともに、赤いネットに入ったミカン(小ぶりの5個入りが多かったという記憶がある)を買うのが定番コースだった。その冷凍バージョンも夏場では人気だった。



かくして、「甘くて」「手でむける」という共通項を持つバナナとミカンの勢いに押され、「酸っぱくて」「むくのにナイフがいる」リンゴは凋落の一途をたどった。とくに悲惨だったのはリンゴの王者「国光」である。

もともと酸っぱいテイストが特徴だった「国光」は、甘い果物がブームになると、あっというまに敬遠され、1968年ごろには「山川市場(やまかわいちば)に出す」というフレーズが国光リンゴ生産者の口端にのぼるようになった。

「山川」という名前の市場があるのではない。

国光リンゴの不人気は目を覆うばかりで、作っても売れないから、山や川に投棄するしかなくなったのである。



このリンゴ業界の危機を救ったのが、すでに国光ベースの品種改良で誕生していた「ふじ」のさらなる改良だった。これによって、甘みの強い「新」リンゴの王者「ふじ」が完成し、イメージダウンしていたリンゴの人気を挽回した。

現在でも「ふじ」はリンゴ世界の生産量ナンバーワンの座をつづけている。

なお、かつての王者「国光」は商業ルートから完全に姿を消し、果物店などの店頭で見かけることはない。ごく一部で、ほそぼそと生産されているだけだ。そして、ナシの長十郎の栄光も、いまは昔となってしまった。

(※この記事は、13日に起きたサーバーのシステムエラーによって自動削除されてしまったぶんの再掲載です)