2011年5月8日日曜日

カタカナの効用

「ボクハ オスシガ ダイスキデス」

と書けば、だいたい外国人の発言を表わすものと相場が決まっている。

「ぼくは おすしが だいすきです」

と、オールひらがなで書いてしまうと、外国人といよりも、むしろ日本人の幼いこどもがしゃべっているふうになる。

しかし、なぜオールカタカナで書いたセリフは外国人がしゃべる日本語のように思えるのだろうか、と考えていくと、けっこうおもしろい結論に行き着く。





常識的な解釈を述べるなら、カタカナで書くことによって、外国人のたどたどしい日本語の雰囲気がよく出るからだ、ということになろう。

では、なぜカタカナで書くと外国人がしゃべる日本語っぽく感じるのか。

すると、こんな答えが導かれる。

じつはぼくたち日本人が、オールカタカナ文をすらすら読めないからなのだ、と。

黙読でさえ、スーッと頭に入ってこず、ふだんの日本語レベルよりもずっと速度が落ちる読み方となる。だから外国人のしゃべりを表わすのにピッタリくるのだ。

一方、オールひらがなは、オールカタカナほど読みにくくはない。だからたどたどしい外国人のイメージは出ず、かんたんな漢字さえ知らない日本人の幼いこども、というニュアンスになる。



まったく同じ文章をオールカタカナで書けば外国人の発言に、オールひらがなで書けば幼いこどもの発言に、そして漢字とひらがなをまじえると、一般的な日本人がしゃべっているように感じられる。

日本語って、なんというユニークな表現力を持った言語なんだろうと思う。

さて――



ワタシハ カン ソーリノ ヤルコトナスコト スベテ ソコガアサクテ ジブンノ ホシンダイイチデ スコシモ ヒョウカ デキマセーン ドコガ「エイダン」ナンデスカ



と書けば、日本人の奥さんをもらって、かなり日本語が達者になってきた在日外国人の発言風となり、「そうか、ガイジンさんもそう思ってるのか」と納得してもらえて、きついコメントも、わりあい抵抗感なく受け入れてもらえるかもしれない……かな?

少なくとも、ぼくが、漢字とひらがなで同じ文章を綴るよりは。