2011年5月7日土曜日

シャイニング(1980, 1997)




前に もHPで書いたが、ぼくがこれまでに見た全ホラー映画での最高傑作は、ジャック・ニコルソン主演、スタンリー・キューブリック監督による「シャイニング」(1980 写真・左)だ。

ホラーというジャンルにかぎっていえば、いまだこれを超えた作品に出会っていない。

もちろん、映画の感想は小説と同じく、人それぞれだから、おれはそうは思わないね、という意見があっても少しも不思議ではない。

だが、この人が「この映画は最悪だ」と激怒したとなると、ただではすまなかった。

ほかでもない、原作者のスティーヴン・キングだ。



キングは、キューブリックが原作を大きく改変したことにアタマにきたらしい。ジャック・ニコルソンが主人公を演じることも気にくわなかったそうだ。イメージが変態すぎて。

ところができあがったものをキングがいくら認めなくても、映画は世間から「大傑作」の評価を得て、興行的にも大きな成功を収めた。

そのことが、ますますキングの態度を硬化させ、ついに彼は1997年、自分自身の脚本でテレビ版「シャイニング」を作った(写真・右)。



だが、どうしたって人々は映画版「シャイニング」と較べてしまう。ぼくもそうだ。原作に忠実であるかどうかなど、映画やテレビを見る観客には関係がない。映画として面白いか、あるいはテレビドラマとして面白いか、そこにのみ評価のポイントはある。

そのへんが、原作者としては冷静に判断できないのだ。気持ちはわかる。小説の執筆はひとりぼっちの孤独な執筆作業だ。孤独すぎて、ときどき涙がこみあげてくるほどだ。ウソだけど。……いや、ホントかもしれないけど。

しかし、そんなひとりぼっちの作業だからこそ、できあがった作品を映画で勝手に解釈まで変えられてしまったら、いったいおれがやってきたことはなんだったんだ、と怒りたくもなるだろう。



だけど、ぼく自身の感想をいえば、テレビ版「シャイニング」は長いだけで退屈だった。レベッカ・デ・モーネイの美しさでなんとかもっていたけど。ジャック・トランス役のスティーブン・ウェーバーもいまいちで、子役の男の子も、なんかちょっと。

これでは小説そのもののイメージもダウンしかねない。作家の思い入れが空回り、という典型のような気がする。キング自身が脚本まで手がけた以上、周囲はなにも言えなかったんだろう。



でも、他人からどういわれようと、自作への強烈な思い入れがなければ作家とはいえないのも事実だ。作家に客観的冷静さがあったって、そんなのはえらくもなんともない。批評家の意見に冷静に耳を傾けるくらいなら、作家なんて廃業したほうがいい。

作家にとっていちばん大切なのは、自分自身が最高に満足できる作品を書き上げることだ。そして、そうやって生み出した作品には、第三者の介入を許さない愛が注がれる。

ぼくだって、他人の作品だから、こうやって客観的に述べているだけで(笑)。