2011年4月28日木曜日

21番目は上海語

中国標準語で「上海」は「シャンハイ」というのに、ご当地上海市で話されている上海語では「シャンハイ」ではなく、「サンヘー」という。

それも声調が標準語の「シャンハイ」とはだいぶ違う。





一段落ついた、とか、残念でした、というニュアンスを表わすのに我々は「チャン・チャンッ」とか「ザン・ザンッ」とか「ツァン・ツァンッ」という擬音語を使うが、あれと同じメロディーで「サン・ヘー」というと、上海語として読む「上海」の発音になる。

そのさい「サ」は舌と上あごの間で微妙に空気を振動させ「ザ」の要素をまじえる感じだ。だからテキストにカタカナでルビがふられるときは「ザンヘー」と濁っている。だが、そのまま日本語風に「ザ」と読んでは、ちょっと違うかもしれない。



ともかく、我々が「北京」を「ベイジン」ではなく「ペキン」と発音するのと同じことを、中国人標準語を話す者は「上海」に対してやっているわけだ。

日本では、いくら訛りの強い方言をしゃべる人でも、「東京」は「とうきょう」であり、「京都」は「きょうと」であって、本来は「サンヘー」なのに、地元の発音を無視して標準語で「シャンハイ」と読むような現象はありえない。



この上海語には「連続変調」と呼ばれる特徴があって、文字が二字、三字と連なってひとつの単語を構成するときは、本来の声調が保てない。中国標準語でも似た現象はあるが、それよりもっと極端だ。

でも、この点は日本語もじつは同じだ。

我々日本語のネイティブ・スピーカーはふだん意識もせずに、この「連続変調」をやっている。日本語の場合は文字ごとの変調ではなく、単語要素としての変調になるが、たとえばこんな感じだ。



「小説を読んだ」

というときと、

「推理小説を読んだ」

というときでは、「小説」のアクセントが変わっている。

あるいは、



「幹線道路」



「新幹線」

とでは、「幹線」のアクセントが違っている。

でも、そんなことは意識もせずに、我々はサラッと連続変調をこなしている。

ドイツ語の格変化もそうだが、複雑なことを規則として覚えようとするのではなく、しゃべったり聞いたりしたときの「自然さ」や「不自然さ」が、けっきょく言語のルールを作っていくのではないか、という気がする。



そしてドイツ語の一方言からはじまったといわれるオランダ語を22番目の学習言語としてはじめた。これはドイツ語に近いけれど、綴りと発音が見事に一致するという点では、画期的な正書法といえるかもしれない。

たとえば「男」は「マン」で、「月」は「マーン」というが、綴ると前者は「man」で、後者は「maan」、といったぐあいだ。


まだまだ本格的な勉強に手を染めた外国語は増える。

23番目から25番目は、学習というより言語研究みたいな形になるが、

プロヴァンス語、バスク語、ルクセンブルク語だ。



プロヴァンス語は南仏の方言のひとつだ。当HPのデザイナーで、南仏で育ったジャン=フィリップ・Kにたずねたところ、いま日常生活でプロヴァンス語をしゃべっているのは高齢者にかぎられており、彼と同じ若い世代がしゃべっているのを聞いたことがないという。

プロヴァンス語は南フランスの言葉なのに、フランス語とは思えない。イタリア語やスペイン語のほうが近い。どうしてそうなったのかをたどっていくと、中世のアルビジョワ十字軍とか、さらにさかのぼって紀元前のローマ帝国の影響にまで言語のルーツをたどることになりそうだ。



そしてバスク語はフランスとスペインの国境周辺で話されている。名詞や形容詞に16の「格」があるというから、ドイツ語やロシア語で悲鳴を上げている場合ではない。



ルクセンブルク語は、ほとんどドイツ語のような顔をしていながら、「ボンジュール」や「メルシー」のような、もろフランス語が基本挨拶で入り込んでくる。その混ざり方が面白い。

だったら、ドイツ語かフランス語をしゃべっていればよさそうなものだが、人口が50万人もいないこの小国家は、ドイツ語・フランス語、それに両者が合体したようなルクセンブルク語の三つが公用語となっている。



とくにヨーロッパのマイナー言語を勉強しはじめると、世界史の学習抜きでは考えられないことがわかってきた。そんなわけで、また深く突っ込む世界が増えてしまったではないか。

だが、本来、学問には、ジャンル分けなどないのがほんとうの姿なのかもしれない。