2011年4月22日金曜日

いつのまにか予定の倍の数に

9カ国語を真剣に学ぼうと決心したのが、昨年後半。

つい最近になって、急速にその数を増やし、ここ二、三日、ねんざのせいで外出できないこともあって、家の中で過ごしているうちに、真剣学習モードの外国語の数が一気に17に増えてしまった。




どれもこれも同じように力を入れているわけではないが、いずれも、いわゆる「旅先でカタコト指さし会話」といったレベルではない、最低でも大学で第二外国語として4年間学んだらここまでくるだろう、という地点を、ひとつの目標としている。

必然的に文法からみっちり入っていくわけだが、いろいろな外国語をやればやるほど、民族によって思考回路がぜんぜん違うんだなあ、と感心しきりだ。

「文法」なんて言葉を使うから、語学の勉強がイヤになるのであって、文法とはすなわち民族の思考回路だ。これが違うから、言語も違ってくる、という言い方ができる。

つまり文法学習とは、言葉の規則を学ぶのではなく、その民族の思考回路をリサーチする、というふうにぼくはとらえている。だから、文法は一種の心理学なのだ。

また、言語ごとに大きく異なる口や舌の使い方については、「言語とは民族音楽だ」という感を強くする。

音楽だから、理論学習だけでなく、自分で聴く楽しみ、そして演奏する(=しゃべる)楽しみもそこにある。

新しい言語をしゃべることは、はじめて手にした楽器で音が出せたような感動がある。



現在学習中の言語は――

アメリカ英語(バリエーションとしてイギリス英語も)、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語、イタリア語、スペイン語、ブラジル・ポルトガル語、ロシア語、ノルウェー語、広東語、アラビア語……ここまで12カ国語が、超真剣モード。

それからスウェーデン語、ネパール語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語。これらが第二グループで、そこそこ真剣モード。

まあ、ネパール語は5年後ぐらいに必要となるように、山歩きもがんばらねばならないが。



しかし、ねっから語学オタクの素質というか、性癖があるのか、これだけではおさまらず、ちょっとかじっただけの言語もほかに山ほどあって、その中からも、真剣モードに格上げ予定のものがいくつかある。

とりあえず近日中に、台湾語と上海語が「昇格」する見込みだ。ゆうべ上海語のCDを寝ながら聴いていたら、中国語の普通話とも、広東語ともかなり異なる「音色」に、すっかり興味を持ってしまった。

それからほんの二日前に勉強最前線に投入したインドネシア語は、タイ語やネパール語と違って、使用文字もふつうのアルファベットだし、複雑な語形変化もないし、文法は単純だし、単語のアクセントはないも同然、発音も英語よりずっとらくちんで日本式に近く、学ぶのにストレスのかからない点では屈指の言語だ。


一方、いま手がけている中で、最大級の難敵は――つまり挫折との戦いを強いられている言語はロシア語である。

でも、そんなときに自分を叱咤激励する理屈はこうである。

「地元じゃ幼稚園以下の子どもがしゃべっているというのに、大人のオレにできないわけないだろ」



はたして、この論法が滑稽なひとりよがりか、それとも意外に的を射ている真理なのか? 結果は数年以内に出るだろう。