2011年4月25日月曜日

あれから33年

1978年4月4日、後楽園球場。

あのときぼくは、コンサートの主催者であるニッポン放送のカメラマンとして、伝説に残る野外ステージの一部始終を、目の前で撮影していたのだった。





レンズをステージに向けながら、ときおり背後をふり返ると、後楽園球場のマンモススタンドを埋め尽くした5万5千人のファンの姿が視野に飛び込んできて、その迫力に背筋をゾクゾクとした寒気が駆け上がっていったのをよく覚えている。

バックステージもフリーパスのIDをつけていたから、衣裳チェンジのためにステージ裏に駆け足で出てきた彼女たちの姿など、文字通りの舞台裏もずっと見ていた。

ステージを組む金属パイプの形や、複雑にからみあった配線コードの数々が、三人の姿とともに記憶に焼きついている。



2年後の1980年10月5日、日本武道館で行なわれた山口百恵のラストコンサートも、(それから、それに先立つ三浦友和との結婚記者会見もそうだった。このときは記者の最前列で)、ぼくはカメラマンとして撮影していた。

あのときは、かつてCBSソニーの駆け出しADとして「ひと夏の経験」のマスターテープを朝一番の新幹線で静岡の藤枝工場へ運んだときの思い出が脳裏をよぎり、制服姿でレコーディングにきていた「百恵ちゃん」が、たった6年で「百恵さん」と呼ぶしかないほどのカリスマ性を持った大スターへと駆け上がっていったことに深い感慨を抱きながらシャッターを切っていた。



でも後楽園球場の、あの背筋が寒くなるような独特の興奮は、百恵さんの涙のラストライブとは好対照を成して記憶に残っている。

後楽園球場を文字通り熱狂と感動の渦に包んだコンサートが終わったあと、キャンディーズの三人はニッポン放送へ直行し、オールナイトニッポンの生放送に出演した。その模様も、ずっとスタジオで見ていた。

日本の芸能史に残る一日を、一スタッフとして間近で見つめることができたのは、貴重な体験だったと思う。



そのとき撮影した写真は、当時のいろいろな思い出の品々とともに、倉庫会社に預けたコンテナの中で眠っている。